昨日は全然、龍馬像をイジれない
ままでした。それで、別のネタで
ブログを書こうとしてます。
1枚目の写真は、朝倉文夫作?の
九代目 市川團十郎 の銅像みたい
です。どなたかのブログかサイト
に写真があったのを保存させても
らっていたのを、そのまんま東…
じゃなくて、東国原…じゃなくて
そのまんま使わせていただいてま
す。保存先を記録していないので
お断りもヘッタクレも無いまま載
せさせていただいとります…。
高村光太郎は、自身も九代目市川
團十郎の首を作りながら、これも
マダマダとした上で、他人の作る
九代目市川團十郎の彫刻をズケズ
ケと辛口のコメントを述べた文章
を読んだコトがあります。
朝倉文夫の作った銅像に対して、
高村光太郎は、「腑抜けの他人」
と、にべも有りません(苦笑)
普通、このレベルまで作れたら、
「腑抜けの他人」と、コキ下ろす
人はいないでしょう(苦笑)
私も多くの、九代目 市川團十郎
の画像をネットで集め、光太郎が
腑抜けの他人、と言った気持ちが
少しだけわかる気がしました…。
光太郎にケチョンケチョンに言わ
れた朝倉文夫ですが、彼は2枚目
の写メにある「手」という光太郎
の作品を入手しています。
コレは朝倉文夫が、猫が首根っこ
をつかまれた姿を彫刻にした時、
光太郎がその着想を珍しく誉めつ
つも、「手がなっちゃいない」と
手厳しく批評したそうです。
普通、こんなコト言われたら怒り
そうですが、朝倉文夫は光太郎に
「手」の彫刻を注文するコトにし
ました。「私が頼んだと知ったら
あのヒトは作らないだろうから」
と知人に注文してもらい、それを
買い取ったのです。ライバル?の
実力を素直に認めて学ぼうとする
姿勢は見習いたいトコロです。
さて、高村光太郎が作った九代目
市川團十郎の「首」はどうなった
のか?についてです。高村光太郎
は智恵子の死後、ショックのあま
りに彫刻に手がつけられなかった
ようで、作りかけの九代目 市川
團十郎の「首」は乾燥してヒビ割
れた状態で放置されていたそうで
す。さらにその後どうなったかが
気になっています。また作ろうと
したけど結局完成しなかったとか
もう作る気になれなかったとか…
どうなったのでしょうかね?
もし光太郎の九代目團十郎の像が
完成していたら見事な像であった
だろうと思いますし、九代目團十
郎が手取り足取り教えた六代目
尾上菊五郎をモデルとした、平櫛
田中作の「鏡獅子」と並べたら、
この名優の師弟を光太郎と田中の
夢の競演で見るという眼福を享受
できたのに…と思うと残念でなり
ません。