前に,宮沢賢治のコトについて記事を書いて,「その1。」
というタイトルを付けていたので,フツーは賢治の「その2。」
が先でしょ?と言われるかもしれません(笑)
でも,今日は高村光太郎のコトを書かせていただきます。
冒頭の写メは,小学校か中学校の図画工作(美術?)の
教科書で見た,高村光太郎の「手」という作品です。
強烈なインパクトがあって,ずーっと眺めていた記憶が
あります。
この高村光太郎は,親子で山もっティの前にたびたび
立ちはだかったりしています(笑)
写メは光太郎の詩集の文庫本の表紙ですが,山もっティ
が好きな「牛」の詩も彼の作品というコトで,いろんな意味で
影響を受けているようですね。
写メに載っていた彫刻「手」は,圧倒的な存在感で,何か
恐ろしささえ感じさせる作品で,崇高な感じさえいたします。
つい先日,母校の門前に数年前に建てられた銅像を見て
来ました。誰の銅像か書くと母校がバレるので今回は書き
ませんが,その方とは高校と大学が共通の母校である
ようです。その銅像が…せっかく皆さんでお金を出して
作られたモノだとは思うのですが,あまりデキがよろしく
ありません(苦笑)思わずゲンコツで「コンコン」とノック
して音を鳴らしてみたぐらいです(笑)もしコレが,光太郎の
「手」のような緊張感の漂う作品であれば誰がノックできる
だろうか?と思うのです。そういう意味で,山もっティの
龍馬像も誰かにノックされてしまわぬクオリティを目指さねば
とカブトの緒を締め直すのでありました(笑)
ん~。アゴを修正しようとして,かえって悪化している
今日の龍馬像…(苦笑)
光太郎は,肖像彫刻もすさまじい才能を見せ付けて
いる。例えば,グーグルの画像検索で,
「高村光太郎 菊五郎 五代目」をキーワードに
したら,たぶん20歳の光太郎の作品が出て来ると
思うのですが。20歳でコレはスゴイですね~
歌舞伎役者では「九代目 市川團十郎」も作って
いたらしく,ソレについて光太郎が書いた文章も
ネットで読みましたが,まぁ他人の作品に対して
手きびしいですな(笑)
父親の光雲の作品に対しても手きびしい訳です
から,その辺の彫刻家が束になってかかっても
モノともしないでしょうね(笑)
山もっティが作品を作る際,やはりどうしても
「光太郎が見たらどう評価するだろうか?」と
考えてしまいますね。
今まで見てきた仏像やら彫刻やら…ソレらは
いつでも,
「オレはココまで作れたけど,お前サンはどう
なんだい?」と挑戦してくるような気がしています。
高みに到達した人々が,現代っ子が挑戦してくる
のを首を長くして待ち構えている…そんな気が
してます。だから,龍馬像のデキにもこだわって
いるのです。