今日は長い文章になると思います。
長文ならイイヤと思われる方とはココでお別れと
なりますか(笑)
今回,釜石でのボランティア活動で,釜石市内の
宿泊施設はほぼ満杯。「遠野」は駅からクルマが
無いと宿までも遠野…じゃなくて遠くて不便…
という訳で,JRで2時間の「花巻」に泊まりました。
往復4時間の移動にボランティア活動…コレは
なかなかハードな日々でした。
山もっティが,帰る日を1日間違うというミスを
しでかしたため,宮沢賢治記念館をはじめ,
花巻市内を観光する時間が取れました。
このコトを,宮沢賢治記念館の職員の方に
チラッと話すと,
「それは賢治のお導きかもしれませんね(笑)」
と言われました。しかし,後から後から,ホントに
宮沢賢治のお導き?ではないかと思えるコトが
多いし,さらには,高村光雲と光太郎の親子にも
導かれているのではないか?と思えるフシも
多かったのです。
宮沢賢治については,マトモに読んだのは
小学校の教科書に載っていた「注文の多い…」
ぐらいでして,後はタイトルを聞いたコトがあると
いう程度の,宮沢賢治ファンからしたら何とも
不届きなヤツでした(苦笑)
教師になってから,賢治も教師であったコトを
知りました。教え子達がすっかり老人になって
からも,数十年前の授業を昨日のコトのように
覚えているという面白い授業。おしゃべりをした
生徒がいた時,怒るのではなく,悔しさでチョーク
にかじり付いたという賢治の姿。ドレもコレも
インパクトがあるエピソードでした。
賢治記念館には,賢治の自作の教材が展示
されており,それは丁寧に「発芽」「河岸段丘」
をわかりやすく図にしたモノでした。これらの
教材の熱心な準備ぶりにはアタマが下がる
思いです(汗)
賢治は教師になっていますが,研究者としても
メシが食えるヒトだったようですね。東北地方の
冷害を予想して新聞に記事を載せ,その予想は
ズバリ当たったりとか。
賢治の場合は,冷害の予想もそうですが,誰かが
困るコトに対しての思いやりがスゴかったようです
ね。教師としての収入は,賢治の人生の中でも
収入が安定し,最も高額だった時期だそうですが,
それでも給料日の3日後にはスッカラカンの時が
あったのだとか。それは,困っているヒトを見ると
ほおっておけなくて,ヒトのために使ってしまう
ような性格だったようですね。コレは,ゴッホとも
似たようなトコロがあるなと思いました。ゴッホは
確か牧師になったゴッホは,貧しい人々を救う
ために,かなり自分の財産を使ってしまったのだ
とか。よほどのお金持ちでも,自分のお金だけで
人々を救おうとしても無理があると思います。でも
救おうとしてしまう純粋さがあったのでしょうね。
ん~。長文にするといいながらキツくなって来ました(苦笑)
賢治についてちょっと話題を変えます。賢治はソバが大好きで
特に天ぷらソバが好物だったのだとか。それが理由かどうか
知りませんが,花巻で,天ぷら入りのソバを「賢治ソバ」とか
「ソバ(賢治)」とメニューに書いてある時があります(笑)
上の写メのは,天ぷらに巨大なキツネまで入っております。
賢治は,天ぷらソバの他にとサイダーが好きだったようで,
賢治の「一杯やりましょう」はサイダーを飲むコトだったのだ
とか(笑)
今日はこの辺にして,龍馬像も貼っておきますかね~
目がやはり難しいですね…。まだシンメトリーがキチンと
しているという自信はありませんな(笑)