TATSUJI選手引退 | 山本優弥の『みんなのおかげじゃけ~』

TATSUJI選手引退

TATSUJI選手が引退されました。

自分と戦ってくれた人間に悪い人はいませんが、彼は特別な人間の一人です。

TATSUJI選手と僕は二度対戦していて、いずれもK-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント一回戦でした。

初対戦は2006年2月4日。
当時RISEの王者だったTATSUJI選手。
強い選手だということは学習していましたが、僕にとって特別な感情は何一つありませんでした。優勝しか考えてないトーナメントの一回戦で、組まれたから戦う。そういった認識の試合でした。

その日、TATSUJI選手はK-1WORLDMAX初出場で準優勝に輝きました。
TATSUJI選手に何も出来ないまま負けて以来、どんどん活躍していく彼を僕は必死に追いかけるようになりました。
憎しみや恨みではなく、ただ彼ともう一度戦うことであの時の自分を越えないないと、何をやってもこれ以上は前に進めないと勝手に思っていました。

しかし、大舞台で成長していく彼と僕の差は開いていく一方に感じられました。

"~しないとダメ"という思考でいる僕の成長は止まり、不甲斐ない試合を繰り返しました。

そんな僕が、出れるはずのないと思っていた試合、"K-1WORLDMAX2009日本代表決定トーナメント"の舞台に出場が決まりました。
「最後のチャンスをあげるよ」と格闘技の神様の声が聞こえました。

抽選方式のトーナメントで、選ぶ権利を得た僕は、迷わずTATSUJI選手の横に行きました。
前回と違い、この試合は自ら望んで決めた形になりました。
進退を決める試合の相手にTATSUJI選手を選ぶことが出来たのです。

再戦を決めてから試合当日までの時間は、24年間生きて来た僕が初めて味わう自分でした。
トランスの状態というのが本当にあるのならあの時だったと思います。

毎日TATSUJI選手の映像を見ました。TATSUJI選手に勝つことだけを考えていました。

再戦した2009年2月24日の僕は準優勝でした。

不思議とTATSUJI選手に勝ったんだ。という感情は生まれて来ませんでした。
あれだけやったのにあれだけの動きしか出来ないなんて…優勝出来ないなんて…と…情けない気持ちになったのを覚えています。

あの日にすべてを注げたことは自分の中で大きくて。
あの日があったから気づいたことは多くて。
あの日があったから会えた人は多くて。
この時巡り会えた周りの人間や環境が、ただ楽観的な人間だった僕を積極的な人間に変えてくれました。

今はがむしゃらに頑張ることだけがすべてではないという非常に素晴らしい経験をさせてもらっています。

ただ、この非常に素晴らしい経験は、目の前のことをがむしゃらに頑張ることのできる人間だけが得られるものです。

こういったことに気づかせてくれたのはTATSUJI選手です。TATSUJI選手は、ぼけ~っとしている僕の人生に喝を入れてくれ、僕の中身を引っ張り出してくれました。

あの時と同じ精神状態を自分で作り出すことは残念ながら今も出来ません。
彼を追いかけることで様々なことを感じ、そこから僕は大事なものをもらいました。
今考えると、それは僕が一番欲しかったものでした。それが何なのか?を言葉にしてあらわす能力は今の僕にはまだ出来ませんがもっと成長していろんな人に伝えれるようになります。

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達二さん本当にありがとうございましたm(__)m

今までもこれからも
ずっと尊敬しています。

もう戦わなくていいんで仲良くしてほしいですニコニコドキドキ





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