いかに。。。 | 山本優弥の『みんなのおかげじゃけ~』

いかに。。。

三沢光晴さんの死。。。

いまさら~~?

いやいやいや。

生死に関することでいまさらもことさらもないよゆーやくん。


人の命におもいもかるいもない。。。


"人一人の命"という基準で考えたら差はないのかもしれません。

が。

三沢さんの死は
おもく感じた。。。

なぜか。。

あれだけニュースになれば重大な出来事です。

たくさんの人が彼の死を惜み悲しむシーンを見ました。

"人一人の命"という感覚ではなかったように感じました。


世間を騒がせた三沢さんの死はとても重大な出来事でした。
世の中に対しては
おもい命だった
ということになる気はします。


僕はプロレスに関しては全く素人です。が
三沢光晴という名前は知ってましたが



亡くなった後の周りの反応を見て
世間が驚き、プロレスファンがショックを受けているのを見て
彼の素晴らしさを知りましたし
また知ろうとしました。

試合中の事故。というふうに取り上げられているのを見ましたが

事故とは
"災害や不注意によって起こる悪い出来事"

"不注意によっておこった悪い出来事"って…
不注意ね。。。

…三沢さんを知れば知るほど不注意や事故という表現が
失礼な気がしてきます。


格闘家の"リング上で死ぬのは本望だ"という言葉。みなさんは聞いたことありますか?

これに対して。

そんなことはない!
本望だなんてはずはない!
やっぱり死んだらだめなんだ!
あってはならない!

いろんな声を聞きます。。。

何目線の意見が正しいんでしょうか。



死ぬなんてことはいいことではありません。
身内やファンは当然悲しみます。あの歳で死ぬことが一般的に望ましいことだとは考えづらいのもわかります。

ただ。僕が思うに
彼にとってのリング上での死は
想定内だったと思います。

"リング上で死ねること"
これは本望だったんじゃないでしょうか。

あえて、"死ねること"と書きます。

彼は趣味や中途半端な気持ちでプロレスに取り組んできたわけではありません。
"プロレスに命をかけてた"といっても過言ではないはずです。
むしろ"命をかけてた"が過言になるような人間であれば
あれだけたくさんの人に惜しまれておくられることはなかったと思います。

あってはいけないことだった。
しかし彼は
大好きだったプロレスをまっとうし
命を捧げることが出来た。
むしろ幸せだったと
僕は思います。


今じゃなかった…ってのはもしかしたらあったかもしれませんが。
三沢光晴という素晴らしい人間をむかえに来たのが今だったのだから
今だったんだと思います。

僕は。

正確には
今の僕はになりますが。
"リング上で死ねたら本望"
この言葉は当てはまります。

さっき言ったように
死ぬということは
どんな手段や方法に限らず
身内や周りがとても悲しんむことでしょう。

つぐないにも恩返しにもならないことでしょう。

ただ、僕はプロとしてリングで闘わせてもらっています。


最高のプロというのは
人を驚かせ、自分や人を圧倒するものだと思います。

なかなか全然。。。
できません。
うまくいかないから。光が見えないから。
もがけるんでしょう。。。
そんな僕でも何かを伝えないとプロ失格です。
僕は、一生懸命勝ちに行くことしかできませんが、僕みたいなやつが勝つには死を恐れず前に出ることは必要なことです。

理想通りに出来る出来ないは大切ですが

プロの自覚は絶対に持っておくべきだと思うのです。
格闘家として存在させてもらっている僕

お客さんはお金を払って、時間をさいて、いろんなものを費やして見に来てくれます。
こういう人達に対して自分も何かを犠牲にするのは
当然のことです。

犠牲にするものが大きければ大きい程
勝敗にこそ比例しませんが

返ってくるものは大きい可能性を秘めていると僕は思います。



極端な言い方をしますが
お客さんが殺しあいが見たくて来てくれてるとは思いません。

ただ、高いお金を払って
死ぬのを怖がって戦う者どうしを見たくて
来ているとも思えません。

選手を守るために
プロのレフェリー、プロのリングドクターがいてくれるのです。

プロのなんだから。
プロに任せればいいのです。
プロが何かわかってるのなら。

死なないように~
なんてファイターが気をつけて戦う必要はない。。。

自分にも相手にも周りにも失礼です。

死ぬ準備をして
リングに上がるのは当たり前のことだと思います。


以前blogでも
「負けるのは死ぬこと」
「死んでもいいから勝つ」
という言葉を使ったことがあります。


「死ぬなんて簡単に言わないでください」
「死ぬのは嫌です」
とコメントをもらえたことがあります。

…とても嬉しいことです(:_;)

ただ

簡単には言いません。

簡単なことをやりにいく気持ちではないんです。

普通ではいられないんです。
普通でいちゃいけないんです。


僕自身
リング上で死ねること
これは本望です。

簡単には真似できないことです。
真似したいとも思わないでしょう。
しかし、あの空間で死ねること
これは僕にとってはとても幸せなことです。
プロとして生かしてもらえたこの半年。
この半年の人生の質の方が今までの24年間よりも
"重み"を感じています。

自分の命を通じて
命の比重の感覚を覚えた時期でもある気がします。
一年前の山本優弥よりも人の役に立てる可能性のある山本優弥にしてもらいました。
今まで生きてきた年月が無駄だったなんてことも思ってないです。
無駄なことを含めて細かいことをやりつづけた結果が今だと感じています。

こー感じれたことがすでに僕の財産です。

これは自分の感覚です。。。

リング上で死ぬこと

僕にとっては
"ない方がいいこと"
です。

"あってはならないこと"
これはドクターレフェリーや応援してくれる周りのみんなが持ってくれていれば十分でそう思ってもらえること自体、幸せなこと。



僕は亡くなった人の前で涙を流したことがあります。
亡くなった人を見て
泣いてる人を見て
僕は涙が出てくるんです。
悲しむ人を見ると悲しみは込み上げてくる。

ただ。
死んだ本人を見て泣いたことが
ないように思います。

涙腺のコントロールをしたわけでもないしわざわざ理屈っぽく考えたわけでもない。

本人を見て悲しくなること。これは僕からしたらとても寂しい悲しい行為だということが念頭にあるからでしょう。


僕は

死ぬために生きている。

その死を泣かれてむかえられるというのは

僕の感覚では
どうも不本意なのでしょう。

「いやいや泣かんでや!気持ちはわかるけど…
精一杯生きたし優しくしてもらえたし満足じゃけ!大丈夫!笑っておくってや!今までありがと。ありがとねー(^^)」


僕は自分がいつ死んでもこう思う確信があります。

こんなことに自信も確信もない
とおもう人もいるだろうが
僕は大切なこととみてます。


人が死んだら泣けばいいってわけじゃないし
その人の気持ちによっては悲しむことが失礼にあたる時がある気がしています。自分本意で涙を流すのではなくこらえる必要もある気もします。

あら理屈っぽ。。。


人は後悔があるから泣くんでしょうね。

もう会えないのは寂しい。。。

もっと一緒になになにしとけばよかった。。。



あらま。
自分でいろいろゆーといて
思いあたる節がある~。

親や支えてくれる人らに会って
もっともっと返さんと。

思ったことを思った時にする!

…ってゆーのも
な~んか違う気がするけど
いつ死んでも
最高だったと思えるよーに生きよーっと。


人生ゆーのは
産まれた時から死んだ後まで
続くもんじゃと思ーてます。(わからんけど…)

カタチがなくなったしばらくあとまでね。

ナイス人生!立派だったね~!ありがとうね~!
といっておくってもらえるようになりたいです。

もともと決められた一生なんかもしれんけど
決められた人生にはしとーないもーん。
決められた終わり方もしとーないし。

"いかに生きるか"

一見プラスな考えに聞こえますが
これだと僕は目標設定がしづらく
僕みたいなやつは何もできずに終わってしまう気がします(笑)


死ぬ時によかったーって思う人生を送りたい。

いい死を迎えるためのいい生き方をしたい。

"いかに生きるかよりいかに死ぬか"

僕の場合はこの設定のがいい人生送れそう♪

じゃーいい死に方ゆーんがなんなんか?
がそれぞれ違うじゃろーけー面白いー(^O^)
正解もないけーまた面白いー(^^)

正解がないぶん
こーゆー自分の考えが変わっていくのも楽しみー♪



ドクターぺトロシアンさん!
死ぬこと考えて生きとる患者が向かってきたら
こわいよ~~(*_*)

へっへっへっへー


※誰かが亡くなった…とかゆーやの寿命が…とか精神的に…とかきっかけじゃのーて

現時点での僕の意見を書かせてもらっただけです。

あと
人の命は重いですが、人の命に対する僕の意見は
重くもなけりゃー軽くもないです。

1回も死んだことないクソガキゆーやの意見じゃけーね(^O^)ぷぷぷーっ

なんなんなー♪

よーわからん上に長い文でごめんなさい。
読んでくれてありがとうございましたm(__)m

そーいやー。。。

帰ってきたー!
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おっしゃー!(板前)