菜根譚 前集 四三 


  静寂の中にこそ見える人生の真実


いわば、風が安らかに治まり、波が静かになった静寂のときにはじめて、自分の人生の本当の姿を見ることができる。

 食事のおりには、味が淡く薄いときにはじめて本当の味を知り、また、話すおりには、声が小さく静かな語り口のときにはじめて、即ち、己の心と身体の本当の状態を知ることができる         


一、 知る。
  人生で最も肝心で最も困難なこと。

 脳は、①松果体を古皮質と新皮質の境界、即ち、最も深部に置き大事にしている。直感を重要視している。


②次に、ウェルニッケ野という言語中枢と聴覚野の二つを、深部に位置させている。


③海馬、記憶中枢を側頭葉に置いている。人間の重要度は、直感で知り、言語で確認し合い、記憶するという順番である。①②の無い記憶偏重の教育は、いびつな人間を作る。


ニ、繊細な感覚

①②は、脳の深部にあり、微妙なセンサー機能を有する。従って、ノイズ、騒音、雑踏な

どのランダムな刺激には機能が極端に低下する。本当に知りたい直感や事態を把握し正確な言語による認識は、静かで淡い環境が不可欠である。



三、「低き声にて語れ」尾崎護著

   この本の題名は、秀逸である。

 尾崎は、竹下登と消費税を日本に入れた立役者である。この官僚が、目標とした人物が、神田孝平であった。

   神田は、明治維新の前年に日本初の西洋経済学の訳本を表した。経済財政大改革を遂げた開明派官僚である。明治の躍進の背景には、開国の現実を踏まえた啓蒙人材と彼ら元幕吏を採用した明治新政府の力量があった。尾崎は、自身に神田を投影して、財務官僚人生を振り返っているのであろう。

 その題に

  「低き声」は、説得力を最大に付与したところである。低き声のみ真に真実を語りうるからである。


四、人類最大の文化遺産「般若心経」も知ることを説く。


 その前提たる思考に次の仏教常識がある。

 1、四苦、「生」人は望んで生まれない。また望んで死ぬものではなく、輪廻して生まれ変わる。

  「老」死に近づく。「病」部分死で死が早まる。「死」今までに得たものすべて、財産、知識、身体を手 

  放し、何に生まれ変わるか分からない。


 2、八苦、「愛別離苦」、愛するものと別れる。「怨憎会苦」恨んだ者にも憎い者にも出会う。「求不得苦」求めて得られず。「五陰盛苦」色受想行識の活動を人間が懸命にしても、それは苦に過ぎない。  


 3、輪廻、すべての生き物は、六種類の間を無限に生まれ変わって行く。


 ①天人、寿命が長く楽しみばかりの生活。


 ②人間、苦の多い楽しみの少ない生活。


 ③阿修羅、争いごとが好きで苦しみが絶えな  い。


 ④畜生、いつも空腹で餌ばかり探す生活。

 

 ⑤餓鬼、飢えと乾きに苦しみ満たされ ることの無い生活。


 ⑥地獄、死ぬほど熱く臭く 痛い生活。


 4、仏教とは、これら四苦八苦、輪廻から、解脱する、苦を楽に変える意識変化を修行で獲得する妙手。 


 5、原文解釈

  是諸法空想」この世のあらゆる存在や現 象には、実体が無いという性質がある。


  「不生不滅 不垢不浄」元々生じたことも、滅したことも、汚れたものでも、清らかなものでもない。 


  無受想行識」感覚、想念、意志、知識もあり得ない。


  「無眼耳鼻舌身意」目や耳、鼻、舌、身体、心など感覚はない。


  「無色声香味触法」形、音、香、味、触覚、心の器官の対象も無い。

   今人間として、苦しいなどとほざいていても、やがて餓鬼や地獄に行けば、何のことは無い現象に過ぎない。

 すべては、空であり無なのである。そう思わなければ、やってられないであろう。

   それこそは、知恵の完成である。この悟りが知恵であり、真言である。


   最後に、「羯帝羯帝波羅羯帝」生きて生きて彼岸に行き、「波羅僧羯帝」完全に彼岸に到達した者 


   こそ、「菩提」悟りそのものである。「薩婆訶」めでたい。


   つまるところ、現実逃避の知恵か、苦を感じない変成意識の知恵か、永遠の諦めを抱けるか、「三世諸仏」過去、現在、未来において正しく目覚めた者は、「究竟涅槃」永遠に静かな境地に安住できる。