菜根譚 前集 四二
意思の自由は神にも勝る
「もし彼が富の力で私を支配しようとするなら、私は仁の徳をもって対抗する。
もし彼が地位名誉の高さで支配しようとするなら、私は仁義を大切にする道で対抗する。
仁徳や仁義によってその地位に就いた君主や宰相は、富や名誉の力で権力を得た君主や宰相に負けてしまうことはない。」
3、やがて今日では、資金を多額に配布したなら、あっという間にマスコミが公表して評価は上がるどころか地に落ちてしまう。では何の力が富よりも重視されているのか。
少なくとも仁徳仁義であるとは聞かない。
多数を獲得するエネルギーで言えば、派閥の大きさ数が物を言っている。派閥のトップに就任するためには、ほぼ世襲主義になっている。
二世三世の議員が、父親、祖父の代からの世襲の信用力で小さな村社会の長を引き受ける仕組みが出来上がっている。
小泉純一郎総理、安倍晋三総理しかりである。
これは、右の教えからすれば、地位名誉の高さで支配するという手法に近い。
こうした富や地位の手法をひっくり返し、仁義仁徳という価値観で権力を握ることを可能にする制度仕組みが欲しい。
3、クラインマザー
アメリカ独立戦争の前には、米国大陸には数部族が存在していた。その中で最も大きいイロコイ族の酋長選びは極めて合理的である。
子供を二人以上生み育てた経験のある女性が集会で代表者を決める。
その女性がクラインマザーになり、部族の青年の中から酋長を決定する。
勉強ができる優等生で、素行の良い親の言うことをよくきく子供だった若者を酋長にしたと言う。
しかし、それは平時のときだけである。時に戦争が起こる。その戦時になると、クラインマザーは、酋長を直ちに変える。
その時は、勉強はさほどできないが、正義感と勇気のある友達の多い若者にしたと言う。
確かに、平時と戦時では組織の長に期待される問題は異なる。
平時の小渕、乱世の梶山、大乱世の小沢
などと言われたことがある。まさしく政治は、一コマ一コマ違う問題が起こってくる。
納得の話であります。
インデアンのパイプセレモニー