菜根譚 前集三九
若者の教育はまず不浄の芽を刈れ
「弟子を上手く教える秘訣は、気品ある少女を扱う様に大切に扱うことである。
その日常、外出や帰宅に付いても厳しく管理し、その交友関係については、少数の良い子だけと付き合う様に注意しなければならない。
もし碌でもない不良と付き合うことは、清らかな湧き水を引く美田に、不浄の雑草の種子をわざと撒くようなものである。」
悪貨は良貨を駆逐する。朱に交われば赤くなる。教育理念を説く。他方で、雑草教育もある。善悪、硬軟、白黒、混在の中で、始めて免疫力の強い種は生まれる。教育には、永遠の対立がある。
1,①消極教育、「人為的なものを排除する。子供たちに文化や文明を教えないということである。
それを教えると堕落するという理由である。悪を呼ぶ人為的な作為的なものを排除して、堕落したり悪が入り込むことから子供を守ることが正しい教育であり、そうすることで子供の本来の善が守られると説く。」
②実物教育、感覚器官を鍛え、実物教育を通じて正しく物事を理解する。「考える力=理性を育てる前に感覚器官を育てる必要を説く。
三歳までは、感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることが大切。一五歳になったら、判断力を訓練しなさい。判断力は、実物教育が必要である。悪と善の混在の中から、善を選ぶ判断力を培うのである。」
③第二の誕生、第一の誕生が生物的な誕生だ
とすれば、第二の誕生は社会的存在としての
誕生である。
「第二の誕生は、利己心の克服、互を思いやる良心の教育を修めることで、良き人間として誕生する。」
2、ルソーの著書「エミール」
「・子供は小さな大人ではない。
・子供には子供時代という固有の世界がある。
・子供時代には、大人に近づけるのとは違った意味での子供固有の成長の論理がある。
・成長の論理に即して手助けすることが教育である。」
「子供の発見」により、教育という活動が何なのかを明確にした。教育という活動を更に反省することにより「教育学」が、誕生する。
「全てのものは、造物主の手から出たときは、善であるが、人間の手の中では、悪になる。」
三. ルソー(一七一二生まれ)
・ジュネーブ生まれ。幼い頃母死亡、父に見捨てられ、牧師に育てられる。厳格な牧師と肌が合わず、一六歳で家を出る。やがて三〇歳でパリに出る。婚約者と交際する一方で、下宿のお手伝いさんに手を出し、五人の子供を儲けるが、父親になる自信が無く孤児院に全部預ける。
六〇歳孤独であった。露出癖があり、良く人前で尻(性器)を出した。幼年期の満たされない寂しさの現れで、赤ちゃん返りとされる。
知的障害児に感覚教育を施すと飛躍的に知能が向上する教育法を編み出す。積み木のバリエーションで手先などの感覚器官の刺激で自主的探究心が起こること。その過程の中で、集中力が向上し、夢中で取り組む姿勢が養われること。
世界に広がり、幼児教育の基本となる。日本では、これを持て囃すあまり、幼児期の自主性と称して、放任、ほったらかしが良いと誤解され、なんの教育もしない現場が横行している。
・3年以上の懲役刑、重大犯罪者の矯正。出所者は100%の就職率。・幼児期から、親に叱られたことのない少年が大半。所内では、すべてが強制。寝起きまで監視関与。朝起床後、日の丸掲揚から、隊列行進が心地いいと言う。看守に厳しくされることがこれまで渇望していた一種の愛情であると認識。・出所後は、零細企業の社長を看守と同じ目線で、あこがれを持ち、懸命に働くという。
幼児教育には絶大な影響を与える。
教育と言うには、手厳しいが、実際少年たちは更生して社会人として大いに活躍しています。