菜根譚 前集三〇 


     初心を忘れず 


 「人生に行きづまり、挫折した時には、初心に帰り、原点の考えに戻るのが良い。

 人生の目的を達して、世間からの評価も十分なものであった時には、更にその行く末の姿、つまり、落魄れて行く自分の身の哀れさをきちんと予測して、身を処して行かなければならない。」

      

一. 要約

初心忘るべからず(徳川家康、世阿弥)。

山も人生も登れば下る。現役と定年。壮年。現役の時は、上ばかり見て坂の上の雲を目指すことは、人との切磋琢磨になり、向上となる。

  しかし、引退したら、あまり無理をして仕事に過負けると生活のリズムを壊して、やがては、衰えからくる病気になってしまう。引退後は、現役のつもりであってはいけない。身の程を知って、人生の幕を閉じる終焉の心得を持って生きていくべきである。


二.挫折と初心。

「人生色々、上り坂、下り坂、まさかの坂」小泉純一郎の極意を継ぐ安倍政治


第一次安倍内閣は、二〇〇六年発足した。多くの小泉チルドレンの支持があった。小泉は、派閥政治を肯定している。事務総長として三塚、森に仕えた。この時点での清話会の正統小泉後継者は、福田康夫であった。しかし、時代は、七〇歳を超えた高齢の福田より、五〇歳代の安倍に期待は内外ともに高まっていた。小泉は、何も語らず、幹事長の武部勤は、福田寄りの姿勢を見せた。安倍は、自力で、戦う以外、選択肢はなかった。

小泉チルドレンの雪崩的支持により、安倍は、戦わずして勝利した。二〇〇七年八月二七日突然、体調を壊し、総理を辞任した。安倍は自信もプライドも、こなごなに崩れ去り、精神的には、再起不能となった。その中から、安倍は、静かに反省した。その上で政治的復権の二つの条件を設定した。
第一に、国民の圧倒的支持があること。
第二に、総理として二度と失敗しない覚悟を固めること、であった。

第一の国民の支持とは、次回選挙にどれだけの票を獲得できるかであった。

総理経験者が、一軒一軒あいさつ回りをする姿は、山口県民の心を打った。全国得票率一位で前回よりも票を伸ばして当選を果たした。安倍は、再起を誓っていた。


第二の覚悟である。小泉は、内閣支持率を高位のまま総理の職を終えることができた。小泉にできて自分にできない。それは何故か、安倍は自問自答した。
「まず、①政策を自分の発想で考える。
     ②議論は、攻めに徹する。
     ③役人の言うことは、聞かない。
     ④常に提案してゆく。
議論は、党内で侃々諤々激しければ激しい程支持が上がる。」

小泉は、持論の郵政民営化を強引に進めた。国民は、頼もしく思った。安倍は、各省庁の小幅な議論を特出ししたに過ぎない。自分自身のテーマを持ちえなかった。


TPP、集団的自衛権、農協改革、法人税改革、拉致再調査など、全く役人特に財務省から、遠い政治課題を掲げて、再起を期した。

安倍は、反省ノートを書き始めた。自分の張り裂けそうな傷口を何度も裂くような痛みの中での、血止めの記録である。ほぼ三年で大きい大学ノートに五冊書き続けた。


そこで、明らかになったのは、「これまでの政策は、自分の物では無かった。借り物であった。政治家として長い間思い込んでいる心情の吐露ではない政策は、通用しない。役人が、これが大事と持ってくるものと、国民が、やって欲しいと思う政策には、とんでも無いくらいの乖離がある。何でもいい、やりたいこと、やらなければならない政策をやっていくことが一番国民に受け入れられる。


その時、普通の政治家は、反対を恐れる。総理になる前、官邸に入る前は、さんざん部会で、賛成論、反対論を、躊躇なくぶつけあっていたのに、急に官邸に入ると、賢く立ち回ろうとする。それが、国民には、ただの保身にしか見えない。

 むしろ、敵がいる事こそ、支持があり得ことと割り切った。

 2020年現在、安倍の姿勢はやや受け身である。初心を貫く強靭さは見えていない。

 体調のこともあり、支持率も低迷。今こそ、何が何でもやる。の気概で取組んでもらいたい。


「政策は、闘争、喧嘩である。」この結論は、今も続く。