クロマニオン人
アルタミラ洞窟で壁画を描いていた。

人類の祖先


菜根譚 前集二  


    苦労も枯淡も度を越さず 


人が努力していくことは、それ自体立派なことではあるが、度を過ぎて仕事苦労ばかりであると、楽しみは無くなり人間の本来持っている持ち味も失われてしまう。


  また、無欲であることは、それ自体高尚なことではあるが、それも度を過ぎて枯れ過ぎると、社会の役には何も立たなくなってしまう。


 人間は哺乳動物で唯一言語を持つ優れた生き物である。現在の人類の祖先クロマニオン人が出現したのは今から20万年前のことです。その後新石器時代(紀元前6000年~3000年)を経て青銅器時代(紀元前3000年~1200年)鉄器時代(紀元前500~300年)へと経過していきます。

  鉄の道具や武器を製作できるようになると集団生活が可能となります。つまり狩猟採取の生活が基本ではあるが、定住して集落を維持できることとなりました。

  その人数での集団生活はほぼ親子を中心に親類縁者だけで構成されており格差や派閥的な摩擦はありませんこの狩猟社会では、完全に分業が確立されていて、目や耳が良い人は獲物を見つけ、足の速い者は獲物を追いかけ、槍や弓の名人は獲物を仕留める。力の強いものが獲物を運んで、獲物を分割する女性、それを分けて配分する女性かつ配分は子供から順番に分けられ、次は年寄りであることは、長い年月集団の鉄則でありました。


 この分かりやすい分業時代が、戦争や諍いの時代を迎え、母なる女性の愛情ある分配原則が崩壊してしまったことは時代の変化とは言え残念でなりません

  戦争は壮年男子の役割で相手との格闘戦闘であります。社会の主人公が分業による完全平等から強い少数の男性へ移行してしまったのです。

  生きてゆく手段としての食糧である獲物の所有権は、分業が相変わらず必要であるのに壮年男子のものとなりました。分業の中で獲物を仕留める役割に偶々ついた男性になってしまったのです。

  それ以来、集団の構成員の公平平等観の中から女性子供優先主義の大原則を失うのです。

  「女性は太陽だった。」

という平雷鳥の言葉通り、文明の進展はのどかな社会を許してはくれず、個人・企業・国家全てに、分業平等、弱者優先配分はなくなってしまいました。


 社会は弱者と強者に分かれます。高齢者乳幼児という弱者に最も美味しい食料を無条件に配分する社会のすばらしさを説くまでもありません。もはや現代社会でもその仕組みを作ることは困難だと思われます。そして物の生産に当たる強者としての男性も、腕力のある者、武器を持てる者だけが勝者になり圧倒的配分に預かることができる社会を構築することとなりました。

 この価値観は、世界を覆いつくし兵力の優位に立つ国家が財力を握り、平和で穏やかな国家ほど資産の蓄積が困難になっていることは残念であります。

 そう考えるとき、趣味もなく家族とも団欒を楽しまず、ひたすら働く仕事人間に将来希望や報いとしての報酬があれば納得できるが、気が付いてみれば人間としての持ち味すら失ってしまうとしたらあまりにも悲しい話である。

 無欲でいることは容易ではない。

 人より収入が低く、楽しみや当然の配分にも預かれないことも覚悟しなければならない。欲があり、その欲を調整しながら物が生産され取引され労働の対価によって喜びに変化する。

 楽しくなければ生きてゆく価値がない。


しかし、人生は


 強く無ければ生きていけない。

 優しく無ければ生きていく価値がない。