菜根譚 前集二五
迷い心を捨ててこそある真実
「驕り高ぶったり、上から目線であったり、それは本当の自信ではなく、借り物の元気である。この借り物を押さえつける力を得ると、本物の勇気が現れてくる。
欲望や執着は、迷った心により生ずる。この迷いを消し去る力を得ると、本当の心が現れ、思うように伸びてゆく。」
驕り高ぶりは周りの人を傷つけ嫌な思いをさせる。しかし本人は気付かない。つまり、相手の反応を検知するセンサーが壊れている状態を指している。節を知らない。
上から目線は、謙虚さに欠けた物言いになっている状態でほぼ驕り高ぶりと同様の独りよがり的意識状態を指す。この場合、相手のプライドを傷つける恐れに気付いていない。礼を失する。こうした人物は、組織や社会のチームワークを壊し全体の力を削いでしまう。
欲望や執着は迷い心の表象である。実はこのことはあまり意識されていない。性欲や出世欲、食欲など個人の個性の範囲で片付けられている。執着も人間の趣味個性のレベルの話になっている。
しかし、じっくり観察してみれば欲望執着は、どこか本気で人生の王道を歩んでいるときには顔を出していないことが分かる。言ってみればスランプのときの隘路なのであろう。うまくいかない、思い通りにならないときの無意識なストレス解消が欲望執着なのである。このスランプを克服する道を求めて人間は努力し続ける。
本物の勇気、迷いを払う力さえ見つかれば、人生の勝者、成功者になるのである。
私が歴史上の人物で欲望や執着にとらわれない実に愉快な人生を送った人物に高橋是清があります。
しらけた世の中を運と努力で勝ち上がった高橋は、江戸に住む絵描きの私生児に生まれました。世間に知られてはまずいと父親が仙台藩の足軽の養子にしてしまいました。その家はあまりに貧しく一二歳で、横浜の外人居留地に売り飛ばされ外国人の小間使いとなる。
そこでも不幸は重なる。雇われていた米国人は悪辣で高橋を米国留学に出してやると偽って奴隷売買契約書に署名させた。
高橋も「angry」(怒る)と「agree」(同意)を間違えたことによって奴隷を承諾してしまったという。米国では必死に働き、一五歳で無事難を逃れやっと帰国。
帰国後、東大教授フルベッキの小間使いとなる。そこでまじめに働いてはいたが、一七歳になると、酒と女に溺れ、東屋という芸者に入れあげてしまった。女装して芸者と芝居小屋にいるところが発覚。フルベッキは無言で聖書を高橋に渡し、静かに解雇した。仕方なく芸者の世話をする箱屋という職に就いた。その後英会話はできるので森有礼の紹介で、唐津藩の英語教師の口を見つけ一年半ほど佐賀唐津藩へ勤務した。その後、東大入学、卒業後官僚になる。すぐに辞職。
元々山っ気の多い高橋は、ペルーの銀山開発が儲かると再び渡航してひと山当てに出かけたが大失敗。一文無し。その後仕方なく土方仕事に従事。
やがて日銀本店の建設現場で主任になる。様々な経験がかわれ日銀に中途採用。やがて総裁。あきれるほどの有為転変が面白い。
人生は諦めないが、面白いと同義。
高橋是清の自宅
2.26事件の犠牲となり他界