明治18年没 1888年7月19日
享年53歳

お墓は谷中の全生庵


全生庵


明治天皇の侍従であった。

毎年陛下が命日にお気遣いされとききました。


幕末に、旗本として活躍
高橋泥舟が、義理の弟山岡鉄舟に西郷隆盛と交渉するように依頼した。
山岡は、体重100キロ、身長188センチ
大男であった。
西郷もその姿を見て圧倒された。

命もいらぬ、名もいらぬという厄介な男と評した。そういうやつでなければ、大事はなしえないと。

西郷山岡の駿府会議は、江戸無血開城につながる。
日本の内戦を未然に防ぐ大した合意です。

山岡には、幕府を説き伏せる力がありました。
西郷には、薩摩、長州、土佐、肥前を説き伏せる力がありました。



このご住職に招かれてお参りに行きました。

平井住職の父上。平井玄恭さんは、高知市生まれ。いの町長 井上長英さんの中学校の同級生

桂浜の雪蹊寺で修行され、梼原町の円命寺の住職から、谷中全生庵に行かれたのです。


梼原町  円命寺


四国霊場33番札所 雪蹊寺


雪蹊寺の住職から、全生庵の住職になられた高僧

山岡鉄舟の命日法要をかつてされました。

平井住職父子は、山本老師の弟子になります。



山岡鉄舟の書


木村屋の字は山岡鉄舟の字

法要の記念品はアンパンでした。

やなせたかしさんも、大好きでした❤️