菜根譚 前集一五
義侠心を常に持って生きる
「友人と付き合うには、三分の義侠心を持たなければならない。人間として一人前に生きてゆくには、少しでもいいから純真な心を持たなければならない。」
一、「人を恋ゆる歌」与謝野鉄幹作。
右趣旨を歌にする。
「妻を娶らば才たけて見目麗しく情けあり」
「友を選ばば書を読みて六分の侠気四分の熱」
現代訳をすれば、「お嫁さんをもらうなら、才能があり賢く美人で見かけが良く人情に厚い女性が良い。」
「友達になるなら、読書家で六分は義理人情で生きて後の四分は情熱で生きるような人間が良い。」
二、「貧交行」杜甫作。友人との付き合い方を説く。どんなときも友人を信じてと。
「手のひらを上に向ければ雲となり下に向け
れば雨となる。くるくると変わる人情
の軽薄さは問題にするまでもない。よくみ
たまえ、あの管仲と鮑叔の貧しい時の交
わりを。あれが本当の友人というもので、
今の人はこの交わりを土くれのように捨
ててしまっている。」
義侠心三分が、友人との絆となる。
三、「水戸天狗党と土佐勤皇党」
強い友情は強い組織を生む。
水戸天狗党の唄
藤田東湖作
「天地正大の気、粋然として神州に集まる。秀でては不二の嶽となり、巍巍として千秋に聳ゆ。」
大石弥太郎・武知瑞山作
土佐勤皇党の唄
「堂々たる神州、戎狄の辱めを受け、古より伝われる大和魂も今はすでに絶えなんと、帝は深く嘆きたまふ。」
ともに立党の趣旨文の冒頭である。神のご加護のある日本の国。それが外国人に侵されようとしている。土佐藩山内容堂水戸藩徳川慶喜などが発想した革命原理である。共通の強い基本理念。そしてそれを行動に移す純真な義侠心が志士となった。
水戸徳川家は、尾張・紀州徳川家とは幕府そのものの考え方が異なっていた。尾張などは、朝廷との関係は幕府の方がむしろ上位にあった。水戸徳川家は副将軍水戸光圀編纂の大日本史に書かれた朝廷が日本の権力の中心であるべき論に立っていた。幕末黒船騒動の中、藤田東湖と会沢正志斎が率直に勤皇思想、尊王攘夷思想を確立すると、一気に幕末維新へ時代は転換して行った。
武市半平太
土佐勤皇党党首