菜根譚 前集四
世俗に近づいても染まらない
「世俗に近付かない者は立派である。また、利権を得られる立場に在ってこれを決して貪ることの無いものは、更に立派である。 権力に近付かない者は、立派である。また、権力に近付いても、これを乱用することのない者は、更に立派である。」
孔子から王陽明へ。明の時代、その萌芽となる考えが菜根譚にも現れる。
「修身 斉家 治国平天下」指導者が道徳的であれば、国家は発展するとの強固な思想。国家の命運が、一個人の道徳観に委ねられるのは、国家の持続性、組織制に疑問が残る。これを打ち破ったのは、明の王陽明の思想。「知行合一」の思想へ。行動論、制度論への脱皮である。
これまでの指導者理念は、欲望洪水論で道徳のダムは高ければ高い程国家は安定すると考えられていた。儒教の国家統治思想を例えていわば、ダイエットの為には、レストランに近づいてはダメ。レストランに入っても注文してはダメ。注文しても食べてはダメ。という第三者の客観的検証不可能なモラル主義に過ぎないのである。人間の本来の欲望や性質機能の分析がやや不足している傾向が否めない。しかし、近現代においては議会制度、検察、会計検査などの整備で、道徳偏重は薄れた。しかしなお、指導者が、欲望、食欲・性欲・金銭欲・名誉欲の自己コントロールが出来なければ、その身を滅ぼし、立場が高ければ高い程、国家の衰亡に影響があることはなお事実である。
その後日本で水戸学により、中央集権国家論が優先し、国家と個人の二元論は、国家の前に個人は私欲に過ぎないとの価値観が敷衍した。死生観の中で、国家のために死を選択することが求められる知行となる。水戸土佐で勤皇の志士が誕生。明治維新革命の思想化する。
・中江藤樹、佐藤一斎、山田方谷、大塩平八郎、吉田松陰、安岡正篤、三島由紀夫
・大塩平八郎は、37歳で大阪町奉行所退職。陽明学の知行合一論者。天保飢饉、汚職、国家のため、勝算なき義挙四五歳。死を進んで選択する思想と行動の完成。身長217センチ。
知りえて行動無きものは卑怯なり。知行合一を体得した者はその葛藤の中から、義挙に出る勝算をしばしば度外視するため、愚挙となる場合が多い。
三島由紀夫の市谷の乱、しかり。
以上