前回、怒りに任せて「和訳ができる」「理解できる」であるということを説明しました。今回は、前回の文章をもちいて、「理解できる」とはどういうことなのかということを説明したいと思います。

改めてになりますが、該当の文章です。
・下線部を和訳せよ(問題は自作)
In other fields too, when satisfaction enters in, creativity and curiosity go out of the window. What has been called 'divine discontent' ーa creative dissatisfaction with the present situation, whatever it isー produces progress. And that dissatisfaction is one type of stress. (龍谷大学)


そして、この下線部に対して
満足が入り込んでくると、創造力や好奇心は窓の外に出て行ってしまう。
というような和訳を与えました。しかしながら、これは分かったようで分からないように思えます。

では、「理解」しているというのはどういったことなのでしょうか。詳しいことは抜きにして、今回の場合、以下のような図式がなりたっています。
1文目:satisfaction
2文目: (a creative) dissatisfaction

1文目: (creativity and curiosity) go out of the window 2文目:produces progress

図示したように、1文目と2文目はある種の対比がなされています。つまり、後ろが分かれば前が分かるということになります。

今回は1文目が問われていますので、2文目に注目してみます。すると「不満が進歩を生み出す」ということが書かれています。つまり、1文目は
2文目「不満が進歩を生み出す」⇄1文目「満足してると進歩はない
ということになります。なるほど、1文目の「窓の外に出て行ってしまう」という表現は「進歩がない」というのと同様の意味を表しているという風に考えることができます。

これをまとめると、「満足してしまうと、創造力や好奇心がなくなってしまう」ということになります。


個人的に、ここまで説明できて、「やっと理解できた」とします。自分の生徒は毎回このような説明を要求されています。かわいそうに!

「和訳ができる」「理解できる」というのが理解いただけましたでしょうか?