他人なんて信じる価値はない。
信じた末に、自分が望む結果を与えてくれる。と約束・実行してくれるのであれば
信じる事が出来よう。
しかし、他へ期待や信頼を形にして行うのは、エネルギーが必要だ。
時に金、行動、親交に崇拝等、なにかしらの奉仕無くして受諾出来るモノなんてありゃしない。
人への期待とは、賽銭箱に小銭投げ入れる如く軽いモンじゃねぇ。
自分が置かれている環境、その中の不遇感。
それらは自らの思惑や行動力で改善出来る事が多いはず。
しかし幸福感と言う尺度は、時に人を不幸に陥れる。
収入は回りと一緒なのに、何故回りのように好きな物が買えないの?
とか
人間的な差など無いのに、何故俺は安月給の仕事にしか就けないんだ?
なんかの個人的な社会適合率の話はしてもしょうがない。
しかし、その所為にでもしてなければ生きるのが辛い。
だから他を信じる。期待する。自分の回りの環境を大きく変えてくれると妄想する。
この、人間が生まれながらにして持つ不安感を最大限に利用し、得を得るのが
宗教であり、政治である。俗に言う、社会的幻想と言う一言で括られる
原始的でありながら幼稚でありながらも大きなうねり。
こんなモンに翻弄されて生きる位なら、俺は一人で生きていく。
間違った知識に囲まれ、死と隣り合わせの劣悪な環境、抗いようの無い社会という
クソくだらないコミュニティ。イヤでもその中で逞しく生きていかなければならないんだ。
他人に頼んで変えて貰うよう願う暇があるなら、いっその事自分が全てを変えてやるよ。
信じる事で裏切られるまでの小さな幸福感に浸る位なら
絶望の中、藻掻いてでも自分で納得いく幸せをこの手で掴んでやる。
俺はソレが出来る人間だ!と強い意志を持って生きている。
だから他を信じる必要なんて無い。
人を好きで居る必要なんて無い。
自分以外の全員がバカだと思って独りよがりにでも生きている方が幸せだ!
そんなこんなで、今、自分には心の置ける親友や、尊敬する目上の方、何て言う
素晴らしいバラ色の人生を送るために必須であろう(と、世で言われている)存在は居ない。
こんな思想のヤツに同調する気の毒なヤツは居ないから。と自分で解っている。
だから必要無い。悩みを打ち明ける相談相手だって居ない。
だって悩みなんて無いもの。問題があれば矢面に立って対処する立場の人間だもの。
そんな事を誰に相談すれば良いの?って感じです。つーか時間の無駄。
人が集まらなければ出来ないような事は、自分が居なくても必ず機能する。
国民の義務、以外でね。だから興味が無いんですよ
政治や宗教なんつー括りのモンは。
自分の家族、子供を幸せにするのは政治家か?活動家か?学校の先生か?近所の人か?
違う。
自分自身の力だけだ!
だから時代がどう変わろうと、その時の自分が強ければ良い。
自分に人生を切り拓く力が無くなったら、暇つぶしに誰かを信じ、期待してみましょうか。