旧日光街道の越谷宿には当時の面影を残す建物があります。
昨年のことになりますが、
「旧日光街道越谷宿を考える会」主催のまち歩きのツアーに参加して、見学しました。
ちなみに、越ケ谷はひな人形でも有名だそうです。
立川志の輔の「メルシーひな祭り」も右の写真のような感じだったのでしょうね。
分かる人にしか分かりませんが…。
駅から八幡神社を経由して、旧日光街道へ。
ガイドの安田恵三さんによると、街道沿いに昔の町家が点在していますが、
街道に面して店があり、その奥へ住まい、蔵、畑と、間口は狭く、奥行きがかなり長い、短冊状の町割りになっているそうです。
また、今でも黒漆喰塗りの家や土蔵などの歴史を感じる街並みが残っています。
旧水田文具店。格子と雨戸の戸袋に注目。
行徳屋。建築業や薪炭販売をしていたとか。二階の戸袋の「網代形」銅板葺きが特徴です。
その向かいに、田中米店。行徳屋と似ていますが、二階戸袋は「菱形」の銅板葺き。
横田診療所。唯一の洋風建築だそうです。元は郵便局だったので、表の窓ガラスが一部だけ開くようになっていました。
旧日光街道から路地に入ります。
油長内蔵。油長の屋号を持つ山崎家の内蔵、米蔵、糟蔵の三棟のうち、土地を取得した中央住宅が内蔵を残して越谷市に寄贈。カフェとして営業されています。
移築(曳家)して「まち蔵」となりました。
奥行きの長い町の様子がわかります。
左が1階、右が2階。太い梁が天井にたくさん見えます。
次も蔵です。
八百喜 参の蔵。八百喜が屋号の白鳥家の三番目の蔵です。多くのお宅にお社がありました。このお宅にも左手にお社が見えます。
土蔵ですが、石造り風になっていて、洗い出しが見事。
赤山街道沿いの黒板塀が続く景観。一部残っていますが、マンションになっています。
旧日光街道に戻ります。
国の登録有形文化財「木下半助商店」。
江戸時代からの金物店。ドラマの舞台にもなったそうです。
縁あって、後で主屋も見学させていただきました。
お向かいの小泉家。慶応年間に呉服・白生地販売をしていたとか。
左の土蔵は明治期の大火でも燃えなかった。土蔵の左に見える煉瓦造りの防火壁のおかげだそうです。
鍛冶忠。元は鍛冶屋。雑貨も販売。
会田金物店。江戸時代からの建物だそうです。近藤勇が幕末に泊まったとか。
2つ目の登録有形文化財です。
はかり屋。元大野家は江戸時代から秤屋を営む商家。土蔵造りです。
奥にたくさんのお店が並ぶ複合商業施設として生まれ変わりました。
はかり屋の立役者である建築家の畔上順平さんには、後で訪れた麹屋でお会いできました。
modest(フランス料理)、uetro(ジビエ料理)、yururi(癒しの空間)、naya(貸しスペース)、遊佐農場(越谷旬野菜)などが奥へ奥へとつながります。
さらに登録有形文化財。
糀屋蔵。味噌醸造業を営む都築家の昭和前期に造られた蔵。土蔵風ですが、珍しい鉄筋コンクリート造の2階建てです。
1階は本のあるカフェ(お客様が多くて掲載する写真がありません)、2階は貸しスペースです。
蔵らしく扉がメチャ厚いのがわかります。
再び、木下半助商店へ。やはり奥行きがあって、最も奥にあるのが主屋です。
さらにその奥に、大きなお社がありました。
ほかにも大釜があったりしました。
主屋から店側を見る。奥の店から土蔵、石蔵など経て、主屋に続く石畳がありました。
主屋の内部。床の間など格式が感じられます。
細かいところのしつらえも見事でした。
ガラスも可愛い。
ここまで見せていただき、ありがとうございました。
皆さんもぜひ、旧日光街道の越谷宿を訪ねてみてください。