まだ開いてはいませんでしたが道の駅で休憩
「茶倉駅」
*町の紹介
飯南町は三重県の中央部に位置し、面積76.33km2で清流櫛田川と緑深い山々など美しい自然が豊な町です。
町内には、国道166号が中央部を櫛田川沿いに西から東へ横断し、国道368号が北から南へ縦断しています。また、町の基幹産業は農林業が主体であり、なあでも「伊勢茶」、「松阪牛」の肥育が盛んです。
(後略)
案内看板より
( ^ω^)昔、カブで千葉から大阪に来た時もこの辺を通ったな
展望台があったので登ってみました
ちなみに駐車場に止まっている車の中でおじさんが仮眠をとっていました
( ^∀^)素晴らしい眺め!!櫛田川も見えるな
道の駅を後にして伊勢本街道こと国道368号線を行く
途中までは山の谷間の集落に沿って道がありましたが、気がつけば―
細くて狭い、険しい峠道、油断をすると絶景
(;^ω^)本当に国道かいな
( ^ω^)おや、あの看板は何だろう
伊勢本街道 櫃坂 ひっさか
( ^ω^)熊野古道以来の旧道か
伊勢本街道 「櫃坂道新坂」
「仁柿峠旧道」と呼ばれているこの道は、現在国道三六八号線の前身として明治三十九年(一九〇六)年に開かれた「仁柿峠新道」に対比された呼び方で、この道の正式な名称は「櫃坂道新坂」と呼ぶのがふさわしい。
江戸時代以前のことが書かれた「勢陽五鈴遺響」の上仁柿櫃坂の項に「一志郡多気ニ到ル山坂ナリ長凡十八丁許嶮岨ナリ本邑此坂ノ南ニ古坂ト称スアリ一志郡丹生俣ニ至ル是往昔多気城ノ本道ナリ寛文年中ノ後今ノ新坂ニ変ス」と出ています。
もともと櫃坂と呼ばれていたのは現在の古坂であって、今櫃坂と呼んでいるのは北畠氏が多気に国司館を築いて以降であって、当時は間道(間者道、抜け道)として使われていたにすぎず、あくまでも本道は古坂道であった。江戸時代になりおかげ参りが盛んとなり、寛文年間(一六六一~七三)
に危険箇所の多い道を改修して「櫃坂道新坂」と称した。以前通行していた古坂道より近道であったが急坂で危険箇所が多かったために、昭和初期の恐慌時(一九三五年頃)に、失業対策事業として、学童の安全通学を目的に、現在通行しているルートが開かれた。
それに平成九(一九九七)年、櫃坂口の砂防工事で一部ルート変更された道を通行しているために、寛文年間に改修されおかげ参りで賑わった江戸時代の道は、現在は廃道となっている箇所が多い。
「櫃坂」の語源は、古坂道の北側斜面が急峻で、櫃状の地形をなしているために名付けられたものである。
仁柿住民協議会では、おかげ参りで伊勢本街道を通行される人たちのために、廃道となっている江戸時代の「櫃坂道新坂」の復興にも取り組んでいる。
平成二十三年十月
松阪市飯南町仁柿住民協議会
風景街道「伊勢街道」連絡協議会
案内看板より
( ^ω^)峠道一つとっても歴史あり
つづく
今日のひとこと
青春18きっぷで10時間かけて帰ってまいりました
様々なコメントありがとうございます
また後日に詳細を更新したいと思います
m(_ _)m…zzZZ