いや本当、感謝と思えるかどうかなんだと思う。
どんな瞬間にもね!
例えば、陽が差し込む瞬間の、部屋の中が明るくなる瞬間とか、その明るくなる空間に自分が過ごせていることに。とか
少し後ろの方で聞こえる家族の語り合う声が聞こえることに、とか
水を与えた庭先やプランターの植物たちの葉が、キラキラ輝いているその光に気づいたときとか
外を走る列車の走る音。
下校時に歩く子どもたちのはしゃぎ合う声。
炊きたてのご飯の香り。
街を歩いていて香る、その家の夕飯の香り。
子どもたちの寝息。
触れ合う肌の温かさ、柔らかさ。
全ては、自分が正常に健康に生きているから、感じることができると思うの。
朝の小鳥のさえずり、木々が風に揺れる音、人の行き交う音、季節で変わる花々。
これらを、当たり前のことでそれの何が素敵なの?
と思うのか、
あぁ、それってこの肉体が正常に働いてくれているから、感じることができる感覚。と、その奇跡に気付けるのか。。
そして、地球が正常に動いているから起こる、
日本の四季の日常風景だと言うことに気づけるかどうかなの。
オゾン層が地球を守ってくれているのは、当たり前ではなくて、さらに私達がその環境を破壊していっていると気付いているかどうか。
人間の便利。の先にあるものは、果たして自分たちが思い描いていた幸せの軌跡の連続なのかどうか。
そんな事を、わたしゃ最近考えてしまうんですね~
そんな、呑んだくれたGWでやっと開放感に浸れた、心地よい夕暮れ時
この瞬間に、原爆が近くに落ちたのなら。
この瞬間に、ミサイルが近く落ちたのなら。
この瞬間に、大地震が近くでおきたなら。
これらの当たり前の日常が、とてつもなく恋い焦がれる軌跡の日々だったと、
何も起こらない、今のうちに、
その奇跡の毎日に気づけるかどうかなんだよ。
それに気づくとね、超恵まれた人生って気付ける。
するとね、引き寄せる物事が、変わってくるよん
私の奇跡の日々は、
明日を生きることが出来なかった人達が、
心の底から望んで生きることが出来なかった
何でもない当たり前の日常。。
超奇跡なんだよ。