「だぁ~れだ?」
出番待ちの間、椅子に座ってスマホをいじっていた大野は、ふいに後ろから目隠しをされた。
大野:…波瑠ちゃんでしょ?
目隠しをしていた手をパッと離し、後ろから大野の顔をのぞきこむ波瑠。
波瑠:なんでわかったんですか?
思いの外、波瑠の顔が近くにあって少しとまどう大野。
大野:なんでって…ついさっきもやったじゃん。波瑠ちゃんしかいないよ、こんなことするの。
波瑠:少し声変えてみたのに。バレたか。
残念そうな、それでいて楽しそうな素振りで、波瑠は大野の隣に並ぶ自分の椅子に腰掛けた。
ふたりが共演しているドラマ「世界一難しい恋」も終盤になり、撮影ももうあと2話となった。
これから夜中まで撮影が続く予定だった。
ドラマがクランクインする前に、ふたりは嵐のバラエティ番組で顔を合わせていた。波瑠はまだ朝ドラの撮影が残っていた為、現場には遅れて参加する形になった。
お互いに最初はまわりに人見知りしがちなふたり。大野は所在なげな佇まいの波瑠を見つけるとそばにいるようにした。
波瑠に直接話しかけることをためらってしまう大野は、自分とスタッフの会話に波瑠を巻き込むようにしていた。そうすると自然に他の共演者も入り大きな輪になっていった。輪ができてしまえば大野は先頭切って話すわけではなく、静かに笑っていることが多かった。
波瑠が現場に溶け込んだのを確認した大野は、自分から波瑠に近づくことは少なくなったが、波瑠が大野のそばに行くようになった。
波瑠は大野のさりげない優しさを感じていた。波瑠が大野にいたずらをすると楽しそうに反応してくれることも嬉しかった。特に話をするわけでなくても一緒にいて心地よさも感じていた。
クランクアップしたら淋しくなるな…と波瑠は感じていた。
スマホを真剣に見ている大野。集中して少しとんがっている唇が可愛らしい。隣に座る波瑠はその横顔を微笑ましく見つめていた。
波瑠の視線を感じる大野。
大野:ん?
波瑠:えっ?あ…
ふいに大野と視線が合い、どぎまぎしてしまう波瑠。
波瑠:そんな真剣になに見てるのかなと思って。釣り情報調べてるんですか?
大野:あぁ…うん。それだけじゃないけどね。
波瑠:そうなんですか?例えば?他には?
大野:んー。いろいろ。
波瑠:いろいろってなんですか?
大野:だから…いろいろだよ。
波瑠:え~なにそれ。気になる。教えてくださいよ。
大野:…内緒。
波瑠:内緒って…わかった。エッチなサイトでしょ。
大野:違うよ~。
波瑠:じゃあ教えてくださいよ。
大野:…やだ。
波瑠:やだ?なにそれ!大野さんのケチ。
ふくれる波瑠の横顔を見て、大野は静かに笑った。
波瑠は普段は大人っぽく落ち着いて見えるが、大野のそばでは子供っぽい仕草をした。そんな可愛らしい波瑠は大野にとって癒しの存在だった。
大野はもうすぐやってくる波瑠の誕生日に向けて、プレゼントを考えていた。
最初は二宮の誕生日プレゼントに何がいいかと調べていたのだが、波瑠も同じ日だということがわかり、今は波瑠のプレゼントをメインで調べていたのだ。
波瑠は大野の気を引こうとわざとスマホをのぞきこむような振りをした。
大野は怒る振りをして「だめだよ」と優しく笑った。
波瑠:大野さん。
大野:ん?
波瑠:もうすぐキスシーンですね。
大野:え?あぁ…そうだね。
数日後に最終回の撮影が迫っていた。
波瑠:緊張します?
大野:今はまだしてないけど…当日は緊張するかもね。
波瑠:大事な初キスシーンが私ですみません。
大野:何言ってるんだよ。
大野はスマホから視線を離し、波瑠を見つめる。
大野:こちらこそごめんね。俺、おっさんだしさ。
波瑠:何言ってるんですか。嵐の大野さんですよ。
大野:…
波瑠:みんなにうらやましがられますよ、私。
大野:俺は…俺は、ただの35才のおっさんだよ。
大野は少し淋しそうに笑って波瑠からスマホに視線を戻す。
波瑠はそんな大野を見つめる。
今の表情はなんだったんだろう。
波瑠は少し気になったが、大野はすぐに何事もなかったようにスマホで調べものを再開していた。その横顔は真剣だ。
波瑠は大野に、自分の中で気になっていた質問をした。
波瑠:あの…映画でもラブシーンがあるんですか?
大野:映画?あぁ、俺の?どうだろう。ないんじゃないかな。
波瑠:そうなんですか…よかった…。
波瑠は心から安堵した。そんな自分に波瑠自身も少し驚いていた。
大野:なんで?
大野は顔を上げ波瑠を見つめる。
波瑠:えっ?あ、いえ。あ…だって、映画でラブシーンがあったら、このドラマのと比較されちゃうかなと思って。
大野:あぁ…そんなの大丈夫だよ。映画の公開は来年だし。それにたぶん、そういうシーンはないと思うしね。
波瑠:でも…今回のドラマで大野さんのキスシーンが解禁になるから、また何かの作品でラブシーンがあるかもしれませんね。
大野:どうかな…もうないと思うけど…。
大野は遠くを見つめるようにつぶやく。
波瑠:大野さん?
我に返る大野。
大野:あ…いや。俺、苦手だしさ。恋愛もの。
波瑠:そうなんですか?でも今回の役も似合ってて素敵なのに。
大野:いや…今回のはコメディだからまだね…。だから…俺のキスシーンは波瑠ちゃんが最初で最後だよ。
波瑠:あら、最初で最後の女ですか、私。光栄です。
大野の言葉が嬉しく、冗談ぽく返す波瑠。
大野は波瑠の言葉に優しく笑った。
波瑠は大野の笑顔が大好きだ。
最初は物静かで頼りなげに見えた印象だったが、一緒の時間を過ごす中で、穏やかですべてを包み込む深い優しさや何事にもぶれない芯の強さからくる笑顔だと感じるようになった。
でも今日の大野の笑顔はどこか陰りを感じた。何かに囚われているような。
考え過ぎかな…と思い直す波瑠。そう、大野は笑顔も素敵だが憂う表情もとても美しいのだ。
波瑠は大野のコミカルな芝居は秀逸だと思っているが、シリアスなラブストーリーを演じることがあるなら更に素敵な作品になるだろうと思っていた。大野は言葉ではなく表情のみで、その存在感で演じることのできる役者だ。
そしてもしそれが実現する時には、できることならヒロインを自分に演じさせてほしいと願った。
大野は波瑠の誕生日プレゼントを探し始めた時、波瑠に絵をプレゼントしようかと考えたがすぐにその考えを打ち消した。
前年に開催された2度目の個展以来、何も描いていなかった。宮城のライブ直前に起きた騒動に絵も巻き込まれて、何も描けなくなっていた。描くことが怖かったのだ。罪悪感すら感じていた。
そして同時に大野は、漠然とだが自分の在り方に疑問を持ち始めていた。
自分はこのままでいいんだろうか…。
本当の自分は?
人から求められた自分を演じ続け、このまま生きていくのだろうか…。
今、目の前のことを頑張れない奴がいつ頑張れるんだと、昔メンバーに自分は言ったらしい。
そんなことを言ったことすら覚えていない自分だが、確かにそういうスタンスで自分は生きてきた。
これからのことは今の延長線上にある。
わかっている。
でも…
自分は変わってしまったのだろうか?
大野は揺らぎのスパイラルに包まれていた。
つづく