波瑠が子供部屋をのぞきに行くと大野が眠っていた。

そばには絵本が開いたまま転がっている。大野は娘に読み聞かせをしながら一緒に眠ってしまったようだ。

波瑠は絵本を拾い上げ、大野と娘にタオルケットをかける。ふたりの寝顔はそっくりで赤ちゃんがふたりいるようだった。波瑠は思わず笑みがこぼれてしまう。

40もいくつか過ぎた男性がいつまでこんなに可愛らしいんだろうと波瑠は不思議になる。

波瑠は大野との結婚を決めた時、女優の仕事は続けていくつもりだった。大野も賛成してくれていたし、実際に事務所との契約は今も継続している。

しかし現状は休業状態だった。仕事のオファーはあるのだが波瑠がやんわりと断っていた。

元々器用な方ではないので、小さな子供のいる生活と女優の仕事を並行するには共倒れになってしまいそうだったからだ。かと言って今の家庭優先の生活にはなんの不満もなかった。

しばらくふたりの寝顔を見ていると、息子が部屋に入ってきた。リビングで一緒にテレビを観ていた波瑠がなかなか戻ってこないので探しにきたようだ。

息子は来年小学校に入る。身体はまだ小さいがしっかりした子で、笑った顔は波瑠にそっくりだった。

「ママ」と言って波瑠の背中に抱きついてきた。普段から妹の面倒をみてくれたりよくお手伝いをしてくれる子だ。ことあるごとに波瑠は「ありがとう」と口に出して息子に伝えているが、それが逆にプレッシャーになっているのかもしれない。ほとんどわがままを言わない子になっていた。

それでも時折、妹が眠っている時などに赤ちゃん返りする時がある。その時波瑠は思いっきり甘えさせてあげるようにしていた。



今日は昼ごはんを食べた後、家族4人で子犬を連れて近くの海にでかけた。

車の運転は波瑠だ。

結婚して波瑠が妊娠した時、緊急事態の為にと大野は意を決して車の免許を取った。しかし使う場面は未だ訪れていない。
大切な家族が増えるたびにますます自分で運転することがためらわれるようだ。

波瑠は車の運転が好きなので苦にならなかった。今はチャイルドシートやベビーカーを乗せる為にファミリータイプの車に乗っているが、セカンドカーとして可愛らしい小型車を持つことも夢みている。

今日は大野の久しぶりのお休みで、本当だったらゆっくり身体を休ませてあげたかったのだが、大野は朝早くから起きて部屋の掃除をしてくれたり子供達の面倒をみてくれていた。

息子は最近大野のやることを真似することが好きなようで、今日も釣具の手入れを手伝っていた。

海でも息子は大野についてまわっていた。波打ち際では水を掛け合ったり追いかけっこをしたりしている。子犬も一緒になってびしょ濡れで跳び跳ねている。

波瑠は娘を腕に抱きながらふたりの姿を見ていたが、ふと大野の共演したドラマの撮影を思い出していた。
大野が演じる社長が海ではしゃぐシーンだ。

自分はあの日から大野を意識するようになったんだと思い出す。

結婚して父親になっても海辺ではしゃぐ姿はあの時のままだと思った。



波瑠は大野がこんなに子煩悩な父親になるとは想像していなかった。

つきあっている頃からなんとなく浮世離れした雰囲気だったこともある。
ひとりの時間がないと耐えられないとよく言っていて、自分の立場的に結婚することも父親になることもあまり想像できないと言っていた。

そんな風だったから波瑠は結婚できるとしてもだいぶ先になると覚悟して大野との交際をスタートしていたし、その年齢によっては子供も諦めるようだと思っていた。

しかし大野は波瑠が思っていたよりもずっと波瑠の将来を考えてくれていて、事務所に交渉して結婚することができた。

いずれは子供がほしいと話してはいたが、結婚してしばらくはふたりだけの生活をしたいとふたりとも思っていた。
交際期間はまわりに気づかれないように隠れて会っていたので、結婚して堂々とふたりで歩いたりする生活を楽しみたかったのだ。

しかし、結婚してすぐに波瑠は妊娠した。波瑠はとても嬉しかったが、大野がどう思うか不安だった。

ふたりだけの生活だったらお互いにある程度干渉しあわないということも可能だが、子供ができたらそうもいかなくなる。

病院の帰りに少し思い悩みながら家に着くと、大野はすでに帰っていて夕食の準備をしてくれていた。

疲れたように見える波瑠を大野は心配してくれた。自分がやるから休んでていいよと言ってくれた。

波瑠は「あのね…」と話し始めた。話を聞いて大野はかなり驚いたようで絶句していた。
波瑠が「ごめんなさい。早すぎたよね…」と言うと、大野は波瑠を優しく抱き締めて「ごめん。ちょっとビックリしちゃって…。そんなことないよ。ありがとう」と言って涙ぐんでいた。
そして「え~っ??いよいよ俺も父ちゃんか!大丈夫かな!?」と嬉しそうに言った。

波瑠はその姿をみて嬉しさとホッとしたのとで涙が溢れた。
大野はそんな波瑠に「無理しないでね。何かあったらすぐに言って」と言ってくれた。



リビングのソファーで息子を膝に乗せてテレビを観ていた波瑠は、ぼんやりといろいろなことを思い出していた。

息子の頭を撫でながら、この子が産まれた時大野が喜びで顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたことや、首の座らない頃の息子をお風呂に入れるのに悪戦苦闘していた大野を思いだし、「ふふっ」と笑ってしまった。

「ママ、どうしたの?」息子が波瑠の顔を見上げ聞いてきた。観ていたテレビでは笑う場面ではなかったようだ。

「ごめんね。なんでもないの」と、波瑠は背中からぎゅっと抱き締める。

子供部屋から大野が戻ってきた。「ごめんごめん。ついウトウトしちゃって」といいながら、ソファーで波瑠の隣に腰かける。

「コーヒー入れましょうか」波瑠が腕をゆるめると、息子は大野の膝に乗った。ふたりを独り占めできて嬉しそうだ。

キッチンでコーヒーを入れている波瑠に向かって大野は「あれは俺にそっくりだな。」と笑いながら言った。娘のことを言っているようだ。

波瑠は笑いながら「さっき同じ顔がふたつ並んで寝てると思って笑っちゃった」と答える。

「俺が絵本読んでても全然聞いてないし違う方見てたりするんだよな。気づいたら寝てるし。」呆れ顔の大野。
「パパそっくり」波瑠は笑いながら言う。

「おまえはママそっくりだからな」大野が膝に乗る息子の頭をなでると、大野の顔を見上げて微笑む。大きな瞳がキラキラしている。

「運動神経はパパに似てくれてホントに良かった」波瑠は2人分のコーヒーとホッとミルクをソファーの前のテーブルに乗せる。

「そう言えばこの前も幼稚園の先生に絵が上手だって誉められたのよね」波瑠がいうと息子は照れたようにうなずいた。

「すごいな。じゃまた今度一緒に絵書くか。」大野が言うと「うん!」と嬉しそうに返事をした。

息子は大野の方に身体を向き直して抱きついた。眠くなってきたようだ。大野が優しく背中を撫でるとすぐにすやすやと眠ってしまった。起こさないように抱き上げて大野は子供部屋に運ぶ。

「今日は1日動きっぱなしで全然休まらなかったんじゃない?」波瑠はキッチンで残っていた洗い物を片しながらリビングに戻ってきた大野に話しかける。
「いや、大丈夫だよ。いつも波瑠に任せっきりだから、たまにはね。」大野は子供達がいない時には波瑠を名前で呼ぶので、波瑠もそうするようにしている。

「智さん、コーヒーまだ残ってる?ビールにする?」波瑠が問いかけると、「いや…あ、ビール飲んでもいい?」大野が答える。

今日は海の帰りに外で夕食を済ませてきた。顔馴染みのレストランで子犬にもご飯を用意してくれる。
車の運転は波瑠だが大野はここではアルコールは頼まないでいた。
家に着いたらすぐに飲もうかと思っていたが、子供達の相手をしたりお風呂に入れたりしてタイミングを失っていた。

「あ、じゃあ、私もちょっとだけ飲んじゃおうかな…」波瑠がおどけたように言う

大野の為に冷やしておいたビールグラスと買い置きの缶ビールを冷蔵庫から取り出し、お揃いのグラスを自分用にと食器棚を開く。

波瑠は大野の隣に腰掛け、グラスにビールを注ぐ。大野は美味しそうにグラスをあけ、「うまいな~」と目尻に皺をよせて微笑む。

波瑠は大野のこの優しい笑顔が大好きで、つい自分もつられて笑ってしまう。

波瑠の笑顔を見ながら大野は「何かあったらすぐに言ってね」と少し真顔で言う。大野に負担をかけないようにと自分ひとりで頑張ってしまう波瑠の性格をわかっているので、大野はいつも気遣っている。

つきあう前も、つきあってからも、結婚してからも、子供ができてからも、大野はずっと変わらない。いつも穏やかで優しい男だ。

「うん、何もないから大丈夫。困ったことがあったら必ず言うね」波瑠は答える。

大野は隣に座る波瑠の肩を優しく抱き寄せる。
波瑠は大野の肩に頬を寄せて甘えてみる。

波瑠は大野に守られている安心感に包まれ静かに目を閉じる。



この人は私に辛いことがあってもきっと一緒に背負ってくれる。だから私もこの人を支えて生きて行きたいと波瑠は心から思う。

そう、今はふたりだから。
ふたりで生きていこうと決めたあの日から。
これからもずっと。




おわり