(生後5日目の続き)

生後5日目、21時の消灯時間を過ぎ22時頃搾乳をしてまた次女のところに届ける。

そのときも担当の先生がきて「おしっこ出てないね〜」「でもバイタルを見たらとてもよく頑張ってるよ」「今は平常値だからね」そう母を励ましてくれていました。

23時頃には病室に戻り、のんびり過ごして次の搾乳(夜中2時)まで寝てよう。そう思って眠りにつきました。

夜中の2時になり、看護師さんに起こされ寝ぼけ眼で搾乳をして50ml搾乳しました。この頃には母乳が出すぎていてあまり出しすぎちゃダメよ!なんて、釘を刺されながら40~50mlを搾乳して母乳バッグに詰めていました。

いつも通り搾乳を終え、流石に夜中で母も眠たかったのでナースステーションに搾乳した母乳を預け部屋に戻り、横になって、さあ寝るか。そう思った時、看護師さんが

「NICUの先生が話あるっていうから来れる?」と声をかけに来てくれました。
その時の看護師さんの様子は慌てることなく普通の様子だったので、呼ばれるという事はあまり良くないことではあるもののそれほど緊急ではないのか?と母は思っていました。

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次女 生後6日目

看護師さんと一緒にNICUへ入ったのが夜中3時前。日付も超えて生後6日目。

いつものようにNICUに入るために手を洗っているとNICUの看護師さんが「手なんていいですから早く!」と急かす。隣にいた産婦人科の看護師さんも驚いた様子。

その様子にようやくただ事ではないことに気づき一度濡らした手を急いで拭き、次女がいる保育器の方へ走る。

目に飛び込んできたのは色んなランプが赤く光っている光景。次女に一生懸命酸素を送る先生の姿。

夜勤の先生なのでしょう。初めて会うその先生は手を休めることなく次女に酸素を送りながら私に話しかけます。

「赤ちゃん、2時過ぎぐらいから一気に体調悪くなっちゃって、バイタルの数値も下がってきたからそろそろママを呼ぼうって言ってたら数値が更に下がっちゃって」

そう言われよく理解せずに昼間も眺めていたバイタルを見ると、最後に見た時は脈拍「146」と表示されていた数値が「30」になり、一瞬で「ああ、もうダメなんだ」と悟りました。

元から動脈管開存症のせいで数値が高く、それが負担になりながらも一生懸命頑張っていた次女。

でも、もう疲れてしまったようでした。

その後は、昨日ようやく触ることが出来て喜んでいた次女を抱っこさせてもらいました。600gしかなくて軽いはずなのにとっても重たく感じた次女。

小さくて小さくて、抱っこする手が震えて涙なのか鼻水なのかわからなくなるほど垂れ流しながら次女を抱えていました。

その後、寝ていた旦那に連絡がつき、旦那は長女を連れ駆けつけてくれました。また私の父、次女のおじいちゃんも来てみんなで別室に行き次女とお話をしました。

長女とおじいちゃんはまだ次女を見たことがなかったのですが可愛い可愛い言いながらよく話しかけてくれました。

旦那は私と交代して次女を抱っこして幸せそうでした。

そして、生後6日目、8月27日 4:07。酸素を送っていたポンプなどを抜かれ、死亡確認をされ、次女は帰らぬ人となりました。

最後は旦那、お父さんの腕の中で気持ちよさそうに安らかに息を引き取りました。

とても良く頑張ってくれてました。
こんなに小さかったのにどこにそんな力があったのかと思わされるほど本当に一生懸命生きてくれました。

寂しいです。悲しいです。もっと一緒にこれからを生きたかったです。

でも今はとにかくこんなにも頑張った次女を褒めて、褒めて褒めて たくさん褒めて送り出してあげようと思います。

火葬は明日、月曜日の朝一で行われます。次女に可愛いおくるみとぬいぐるみやおもちゃ、たくさんのお花を買ってあげたいと思います。

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皆様。次女を応援してくださり、次女の最期のときを読んで下さり、ありがとうございました。

また落ち着きましたら火葬のお話や、もしかしたら気になる方もいらっしゃる費用などの話を更新させていただき、同じような境遇のママのためになるものを書きたいと思います。

混乱する頭で忘れないうちに綴ろうと決めたこのブログがきっと誰かのためになりますように。  


皆様も良い1日。よい人生をお送りください。