先日お会いした、社会福祉協議会職員の方(Mさん)のお話
が、ぼんやりとした概念を見事に言語化、図式化していて
感銘を受けたので忘れないうちに。。。


「福祉」と聞くと困った人が役所や施設で相談をする
相談を受けた担当の職員が、現行の使用できる制度を案内する
そんなイメージ

しかし、制度の枠組みでしか対応できないケースがやはり大半を占める

そして、その枠組みは当事者が困りごとでラベリングされたものがほとんどだという

貧困の人はこちら
シングルマザーの人はこちら
就労支援が必要な方はこちら
というように

この困りごとラベリング的制度の仕組みだと
当事者にとって制度の利用において以下のような問題点がある

・心理的負担(惨めになったような気持ち)
・周りの目が気になる(かわいそうだと思われる)
※俗にいう、社会的スティグマ
・物理的に不可(平日の9:00~17:00に施設に行けるわけがない)
・ラベリングに当てはまってないけど、困っているという
漏れてしまっている層に支援が必要な人に届かない

こういった福祉行政分野からのアプローチも
一定の効果はあるが

Mさんは、一般社会の角度から
より効果的なアプローチを試行錯誤している

人助けなんていったって、
人は、というか一般社会は
ただただ興味と関心で成り立っているものだ

いくら、理論、ロジックを並べたところで
学者だって、専門家だって、所詮人である。
人は、5感で心地よいものに惹かれる

という概念のもと、

つまり、ラベリングではなく
音楽が好き、スポーツが好き、おしゃれなカフェに行きたい、イケてるデザインといった人々を引き付けるタグ付けで場づくりを仕掛ける

福祉という概念を、いったん置いて
人が興味と関心で集うような場所を創る

だから1番に思うのが、ぱっと見、福祉らしくない。ということだ。



空き家をどう使う?のひとつの課題から
実際に市民の声を聴き、
惣菜を買える場所にしてみては?
借りられる本を置いてみては?
使わない文房具も販売してみては?

結果的に
高齢者の孤立、空き家問題、子どもの居場所づくり
これらが解決に向かう位置づけとして
ひとつの空き家が、購買部として成立している


イケてるイベントに参加しただけなのに
気づいたら、人を助けていた。。助けられていた。。など

もはや助ける人、助けられる人の境目がない
デザイン、仕組みを創る

プレーパークなどは、その最たる例だと思う
子どもの外遊びって大事だよね
っていう価値観に親子が集う。

何回も通ううちに、スタッフや人間関係が構築され
実は、子どもの学習に困っていて
実は、旦那のDVに困っていて
と、実は〇〇と奥にある諸問題があふれ出す。

そこから、制度へとつなげるのもよし
Mさんは諸問題をもはや地域ごとで解決しようと
市民が参加できる会議を設けている


イケてる項目のタグ付けで人が集える場をつくり
本質的な諸問題を解決、もしくはアウトリーチにつなげる

まさにかっこよすぎる仕事だ