令和に入って相掛かりの流行が続いていますね。私は以前、と言っても10年以上前ですが、「相掛かりという名前の由来 」と言う記事を書いていました。


要点だけ確認すると、

1「江戸時代の定跡書(平手相懸定跡集、平手相懸定跡奥義)を見る限り、横歩取りや飛車先を伸ばした角換わり相懸かり(=相掛かり)の一部として紹介されている。」

2「相懸かりかどうかは(江戸時代の定跡書を見る限り)、序盤の早い段階で、▲2五歩△8五歩と、先手後手共に飛車先を伸ばし合っているかどうかと推測される。」

3「剣道(他の武道、古武術も含むかもしれない)で、"相掛かり稽古"と言う、お互いに攻め合って行く練習法があり、将棋の相掛かり(相懸かり、相懸)も、それになぞらえて付けられた名称では無いかと思われる。」


との主張でした。


(ややこしいため、以後、この記事の中では、現在の定義(?)の相掛かりは「相掛かり」、上記の江戸時代の定跡書の定義(?)すると思われる相掛かりは「相懸かり(又は相懸)」と、表記を区別します。)


個人的な意見ですが、現代の将棋用語として使われる相掛かりは、「初手から▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩とお互いに飛車先を伸ばした後、通常は▲7八金△3二金(1図)と角頭を守り合う形から始まり、先手後手共に、飛車先交換、もしくは交換を含みに駒組みを進めて行く戦型、およびそこからの変化に合流しうる類型」とでも言って良いと思います。


この定義からいくと、(1図)の局面から始まる現代の普通の相掛かり相懸かりに入ります。

(1図)


また(2図)から始まる、通常の横歩取り相懸かりに入ります。もちろん横歩を取らない場合も相懸かりです。


(2図)


さらに(3図)から始まる、伝統的な角換わり相懸かりの範疇です。

(3図)


以上は以前の記事のおさらいで、いずれも江戸時代までさかのぼれる戦型です。


ここから、新しい考察です。昭和から平成にかけての戦型です。まず、4図は横歩取りの変化ですが、後手が趣向に出ています。以後△2三歩▲3四飛△8八角成▲同銀△2五角、といった変化が見えますが、これは相懸かりでしょうか?


(4図)


少なくとも4図の時点では、相懸かりでは無いですね。後手は受け身に回っており、互いに攻め合ってはいません。


少し前までよく見られていた飛車先保留型の角換わり(5図)はどうか?


(5図)


5図は先手の側が攻め掛かっておらず、これも現局面では相懸かりでは無いですね。


昭和の時代の矢倉24手組み(6図)はどうでしょう?

(6図)


矢倉24手組みも相懸かりでは無いですね。両者とも掛かっていません。


平成時代の主要戦法として長く君臨した飛車先不突き矢倉(7図)はどうか?


(7図)


これも相懸かりではありませんね。


それでは令和の、現代の戦型を見ていきます。相掛かりや横歩取りは昔から変わりありませんね。


現代の主流戦法角換わりも、先祖返りして、昔と同じ3図の形ですね。


角換わり回避の後手早繰り銀(8図)は?


(8図)


これも相懸かりです。


平成角換わり拒否の雁木(9図)はどうでしょう?


(9図)


これは先手が▲2五歩と突けば、相懸かりです。


後手一手損角換わりは、いろんなオープニングがありますが一例として10図をあげます。後手一手損角換わりの趣旨は、手損する事により手を保留する事で、基本的には飛車先の歩を保留するのが普通で、すなわち相懸かりではない場合が多いと言えそうです。


(10図)


雁木はどうでしょうか?後手が雁木に誘導する場合、オープニングは振り飛車模様(11図)となり、この時点では相懸かりではありません。

(11図)


ところが、その後変化によっては、例えば早繰り銀に後手も反撃を狙った一例(12図)は相懸かりです。


(12図)


令和の矢倉は24手組みや藤井矢倉、令和急戦矢倉などに進行すると思われるが、令和急戦矢倉(13図)が変化によっては相懸かりになるといったところでしょうか。


(13図)


ここまでで、主だった戦型をざっと見終えたと思っていませんか?


ここからが当ブログのマニアックなところになります。


次の局面(14図)はどうでしょうか?


(14図)


「これって相居飛車じゃ無いだろ?」って思うかもしれません。でもよく見て下さい。互いに飛車先の歩を五段目まで伸ばしていますね。では、これも相懸かりでしょうか?

少なくとも、そういう解釈もあります。


下の画像を見ていただくと、「石田流相が(懸)かり」の記載があります。


(東京将棋研究会から昭和14年に出ている「将棋必勝手引 : 指し方・定跡・詰手・名人大家実戦図解」という本からの引用です)


(15図)


手順は下の画像にありますが、誤植が多いのと現代の棋譜の記載法と少し違っております。

(16図)



記載法を現代風に修正すると、

▲7六歩△3四歩▲7五歩△3五歩▲7八飛△3二飛(14図)▲7四歩△同歩▲同飛△3六歩▲同歩△8八角成▲同銀△5五角▲7七角△1九角成▲1一角成△7二香▲3五香△7四香▲3二香成△同銀▲3八銀△1八飛▲7五歩△同香▲6六馬△7八香成▲同金△2八香となっています。


これは相石田流の変化ですが、「石田流相が(懸)かり」と記述されています。


現代だと、なんとなく、「相掛かり=相居飛車」と考えてしまいがちですが、本来の原義に遡れば、そんな制限は無いのだろうと思われます。


ちなみに提示した相石田流も先後同型からの出だしですが、語源と思われる「相掛かり稽古」は恐らく、お互いに面だけしかダメとか、胴しか狙えないなんて制限は無いと思います。


これを将棋に当てはめれば、同型である必要すら無いはずです。


例えば先手石田流(17図)も「互いに相手の隙を見て攻め掛かろうとする」相懸かりの要件を満たしていそうです。


(17図)


同様に後手ゴキゲン中飛車の一部変化(18図)も相懸かりと思われます。

(18図)


攻め掛かるという点では、歩の位置も拡大解釈できそうです。具体的には相中飛車(19図)や


(19図)


後手角頭歩突き向かい飛車(20図)


(20図)


も相懸かりに入れられるかもしれません。


その根拠として、下の画像(21図)は北村昌男先生の「攻めの振飛車」と言う本の相振飛車の解説からです。

(21図)



初手から▲7六歩△3四歩▲9六歩△1四歩▲1六歩△9四歩▲6六歩の局面を指して、「端歩相がかりとでもいうべき形です。」と評しています。


この解説は、普通の相掛かりの形(1図)を念頭に置いては理解不能で、やはり原義と思われる「互いに攻め掛かる形=相懸かり」の事と解釈するべきと思います。


結論


「相懸かり」は本来の意味は、「互いに攻め掛かる」で有ると思われ、現在の「相掛かり」や多くの場合の「横歩取り」だけでなく、変化によっては、角換わりや矢倉、雁木などの相居飛車系の多くの変化にとどまらず、対抗形、相振り飛車も含みうる、と言う解釈も出来るのでは無いか。


蛇足

相懸かり・相掛かりの語源を剣道用語から類推して議論してきましたが、剣道には「相掛かり稽古」だけでなく、「掛かり稽古」と言うものもあります。


これは、片方(掛かり手)が攻めて、もう片方(元立ち)が受けてたつ練習法で、相掛かり稽古が(1図)のイメージなら、掛かり稽古は(11図)のイメージで無いかと思います。



以上、マニアックな考察でした。


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矢倉とは 

 

以前から書きたいと思っていた、矢倉戦法の歴史に手を付けたいと思い記事を書き始めました。私も50代に入って、出来るうちに、やりたい事をしておきたいと思ったり、勝又教授の相掛かりの記事に刺激を受けたり、してます。

 

将棋で「矢倉」と言う言葉を使う場合、幾つかの意味があると思われます。元々は玉を囲った駒組みを、城の櫓(矢倉)に見立てて「矢倉囲い」と呼ぶようになった所から、始まるはずです。

 

矢倉囲いの出現 

 

実は矢倉囲いは最古の棋譜に既に現れてると言うと驚かれるでしょうか?先手初代大橋宗桂vs後手本因坊算砂の1607年(慶長12年)に行われた対局で、後手で四間飛車に振った本因坊算砂が使用しています。

 

厳密には、「流れ矢倉」と呼ばれる囲いで、いわゆる「矢倉囲い」=「金矢倉」では無いものの、一応は矢倉囲いです。(何気に、先手も「天守閣美濃」のように、角頭に玉を囲っています。しかも現代でよく見られる「ツノ銀型雁木囲い」になっていて、「天守閣ツノ銀雁木」とでも言うような囲いです。)

 

(1図)

 

では、金矢倉の初出はどうでしょう?

 

同じく大橋宗桂と本因坊算砂の1618年の対局で残存する棋譜では、両者の最後の対局のようです。

 

後手大橋宗桂の四間飛車に先手の算砂が飛車で3筋の歩交換をしたのに対応して、後手も3筋に飛車を移動して、玉を金矢倉に囲いました。

 

(2図)

その数手後に先手も金矢倉を完成します。

 

(3図)

ただ、この局面は、戦型としては、後手振り飛車(四間飛車)の対抗形で、戦型としての矢倉(相矢倉、急戦矢倉)ではありません。

 

矢倉戦法の模索 

 

いよいよ矢倉戦法、戦型としての矢倉へ進んで行きます。

 

それでは、戦型としての矢倉、矢倉戦法はどんな形、指し方でしょうか?

 

上でも書いたように、矢倉囲いに組んだからと言って、 上述の大橋宗桂vs本因坊算砂戦は両方とも、普通は矢倉戦とは認識しないと思います。

 

では、相居飛車で矢倉囲いに組めば良いのでしょうか?

 

例えば次の図は矢倉戦法でしょうか?

(4図)

これは2003年の先手野月先生と田中魁秀先生

対局です。先手は金矢倉、後手は菊水矢倉です。

 

 先手の野月先生の名前と互いに飛車先の歩を手持ちにしていて、3六の銀で分かるでしょうか?この将棋は、相掛かりの先手引き飛車棒銀から進行した局面です。

 

では次の局面はどうでしょう?

(5図)

 

こちらは1993年の谷川先生と羽生先生の対局です。後手は金矢倉、先手は矢倉囲いから金が1枚離れています(個人的には半矢倉とでも呼びたいところです)。

 

こちらもお互い角を手持ちにして、5六銀・5四銀と腰掛け銀の形になっています。そうです。これは角換わり腰掛け銀です。

 

通常、(4図)や(5図)は矢倉(戦法)とは認識されないと思います。

 

それでは、矢倉戦法とは、どんな戦型でしょうか?

 

私見を述べるなら「先手・後手の一方もしくは両方が、角道を閉じて、居飛車で矢倉囲いを目指す戦型で、両者とも駒組みを優先すれば相矢倉、相手の隙を見て攻め掛かろうとするのが急戦矢倉」と思っていたのですが、言葉にして書き出すと問題点に気がつきました。

 

まず、第一に「いつも矢倉に囲う事が出来る訳ではない」と言う事です。

 

例えば、後手でウソ矢倉目指した場合に2筋で飛車先の歩と角を交換され、銀冠や菊水矢倉になる戦型で納得しやすいと思います。具体的には、△4二銀(又は△3二銀)の前に▲2五歩△3三角の交換を入れられた場合です。よくわから無い人は青野照市先生の「相居飛車の定跡」を参照されると良いと思います。

 

▲2五歩△3三角の交換が入った形で矢倉囲いを目指す事も、形が決まってしまう欠点は有るものの可能で、田中寅彦先生の「無理矢理矢倉」が有名です。

 

実は先に結論の一部を出してしまうと、矢倉戦法の初期の形は、「後手でウソ矢倉又は無理矢理矢倉を目指す形」になっています。

 

個人的な見解では、ウソ矢倉、銀冠、菊水矢倉、無理矢理矢倉を全部含めて矢倉戦法の変化と考えています。

 

第二に、「目指すのは矢倉囲いである必然性は無い」と言う事です。実際によく見られる形だと、カニ囲いや左美濃、雁木囲い、場合によっては舟囲いや中原囲いも出現しています。

 

そもそも、将棋の歴史では、「初めから矢倉囲いが優秀と分かっていて矢倉囲いを目指した」なんて事はあり得ず、試行錯誤の上で矢倉囲いを目指すようになったはずです。

 

 

最後に、矢倉囲いだけで無く、居飛車にこだわる必要も無いはずです。

 

その視点で見ると、矢倉囲いを目指して▲6八銀(又は▲7八銀)もしくは△4二銀(又は△3二銀)と上がった形は、中飛車(又は四間飛車)を目指す形と共通しています。

 

いろいろ考えているうちに、思いついた事が有るのですが、長くなりそうなので、次の記事にしたいと思います。

 

 

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ブログ更新無いまま随分とご無沙汰しております。


実はブログ記事の下書きは有るのですが、記事として公開できるほどまとめられていません。


そこで記事未満の考察をnoteで公開する事にしました。


気が向けば、ブログ記事にまでする事があるかもしれません。


下にリンクをつけておくので興味が有れば読んで見て下さい。





では、またよろしくお願いします。

ここ最近、将棋の戦法史を調べてまとめるつもりで、江戸時代から昭和初期の棋書目録の作成とその棋書の内容を調べられそうか、と言う調査を行っています。
調べた範囲では、江戸時代の棋書(図式集、手合集、定跡書)は内容を公開されていたり、原本の写真がウェブ公開されていたりするものが結構有ります。

もっとも、原本の写真は公開されていても、崩し文字を解読するのが、それほど簡単では有りませんが。

明治以降の棋書では、活版印刷されているのか、随分と読みやすい本が増えます。こちらも旧仮名遣いのため、読むのに努力は必要そうです。

参考にさせてもらったのは、「棋書ミシュラン」、「ウィキペディアの江戸時代の棋書のページ」、「日本の古本屋」、「アカシヤ書店」、「温故知新」と言う古棋書の内容を公開されているサイト、「詰将棋博物館」、「国立国会図書館」、「野田市立図書館」などです。

一部(江戸時代の棋書)は公開しているのですが、現在情報を追加中で、出来れば早めに公開したいと思っています。

なお、少し前から、Javaのセキュリティの設定の問題か、せっかく公開して頂いているサイトの内容が十分に見えなくなっています。(温故知新と詰将棋博物館)

非常に残念なのですが、何か解決方は無いんでしょうかね?(私個人はJavaの設定をいじって見れるようにしています。)

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はじめに

9月の初め頃に、角換わり腰掛け銀の記事を書いていたんですが、まとめ切れないままになってしまってました。


そうこうしている間に、大きな場面で角換わり腰掛け銀同型を巡る戦いが現れています。竜王戦の挑戦者決定戦第1局でのツツカナ新手の局面と、七番勝負第3局の先後同型です。


羽生先生、森内先生と言う、ビッグネームが採用したからには、テーマとしてそれなりに成算が持てるのだろうと推測します。


この角換わり腰掛け銀同型関連の進化は、共に糸谷先生が変化したので、見たかった進行にはなりませんでしたが、今後の推移を見守りたいと思います。


今回は、やはり最近よく見かける、横歩取り△3三角戦法の△8四飛△5二玉型の初期の形を見ていきたいと思います。



△1四歩の変化

以前の記事でも、参考にした「現代将棋講座8空中戦法」を見ていきます。

初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△3三角▲3六飛△8四飛▲2六飛△2二銀▲8七歩△5二玉(1図)が最初の基本図になります。


(1図)

(初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△3三角▲3六飛△8四飛▲2六飛△2二銀▲8七歩△5二玉まで;1図)

1図は最近(2014年現在)頻出していますが、これから見ていくのは、今よく現れる形とは少し違っていますが、知識として知っていて損は無いかと思います。

1図から進む前に、1図の最終手△5二玉で△1四歩とする手を見てみたいと思います。(参考1図)

(参考1図)

(初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△3三角▲3六飛△8四飛▲2六飛△2二銀▲8七歩△1四歩まで;1図)

参考1図では、▲3三角成△同桂▲2一角(参考2図)と言う攻めが気になるところです。この攻撃は条件次第では成立する場合が有り、横歩取り△3三角戦法を指す場合も相手にする場合も注意が必要です。

(参考2図)

(参考1図以下▲3三角成△同桂▲2一角まで;参考2図)

参考2図以下、△4二玉と受け、以下▲3二角成△同玉▲4二金△2一玉▲2三歩と攻め続けられた時に△1三銀(参考3図)と躱せるのが△1四歩の意味で、最初期には内藤先生も△1四歩と指されている様です。

(参考3図)

(参考2図以下△4二玉▲3二角成△同玉▲4二金△2一玉▲2三歩△1三銀まで;参考3図)

参考1図の△1四歩は形を決めすぎている様に感じるかもしれませんが、初期の内藤流では、後に示すように△1五歩と伸ばす形を狙っていたので、△1四歩と△5二玉のどちらが先でも差し支え無かった訳です。


初期の内藤流の基本形

再び1図に戻って、以下の進行を見ていきます。先手の▲6八玉に、後手は△1四歩と突きます。さらに▲3八銀に△1五歩と伸ばします。(2図)

(2図)

(1図以下▲6八玉△1四歩▲3八銀△1五歩まで;2図)

勝又教授が、最新戦法の話の中で解説されている様に、内藤流の△3三角戦法は先手の中住まいからの鏡指しが有力な対策で、衰退する事になるのですが、初期では、▲6八玉▲3八銀型が自然な対応だった様です。

私見ですが、コレは昭和40年代当時、相掛かりで▲2六飛型の腰掛け銀が指されており、それと同様の陣形で対応していたのだろうと考えています。(また、この形は現在でも中座飛車対策などとして有力な形です。)

恐らく昭和40年代当時、矢倉と振り飛車が二大戦法で、マイナーだった横歩取りにそれ程には、対策が練られて無かったので無いかと思います。

(とは言え、内藤先生の本には、幾つかの形が載っているので、また別の機会に触れてみたいと思います。)

一方、2図の後手の陣形は、右の金銀の活用を後回しにして、1筋を伸ばしています。

この後手の陣形の長所は、一段金で飛車の打ち込みに強く、飛車交換や飛車切りの手順を選択しやすくなっており、端を伸ばして仕掛けを狙いやすくなっています。

逆に後手陣の欠点は、中央を支えるのが玉のみで薄く、端から仕掛けられなかったり逆襲されたりすると、丸々手損になる恐れがある事です。


内藤先生御自身が書かれているのですが、2図からの後手の狙いは、飛車を縦に使って手を作っていく以外に、△7二金△6二銀から飛車を横に使ったり、角交換から△3三桂~△2五歩~△2四飛とする指し方にも言及されておられますが、縦に使う方が、空中戦法らしいとも書かれており、以下その手順を見ていきます。


空中戦

2図からの空中戦法らしい、華々しい戦いを見ていきます。先手は駒組の進展を図り▲3六歩と突きます。この瞬間、先手の飛車の横利きが止まったので後手は△8六歩と合わせて7六の歩を狙っていきます。(3図)

(3図)

(2図以下▲3六歩△8六歩まで;3図)


この3図の後手が△8六歩と合わせる、仕掛けは、中座飛車でも現代の△8四飛型でも、非常によく現れていますが、ルーツはこの形だと思います。

先手は△8六歩を▲同歩と取り、△同飛で7六の歩取りになります。ここで▲3五歩と飛車の横利きを通して受けます。後手は今度は、その3五の歩を狙って△8五飛と引きます。(4図)

(4図)

(3図以下▲8六同歩△同飛▲3五歩△8五飛まで;4図)

4図で先手は▲7五歩と突きます。コレを単純に取ると後手が悪くなるので、△2五歩▲同飛と取らせてから△7五飛と取ります。

この局面で、先手は陣形の右側を動かしにくく、▲7七角としたところで、△7四歩と桂の活用を図るのが、初期の内藤流の指し回しです。(5図)

(5図)

(4図以下▲7五歩△2五歩▲同飛△7五飛▲7七角△7四歩まで;5図)

この進行は、内藤先生が勿論後手で、先手の中原先生との間で戦われた、第15期棋聖戦(1969年)で現れた手順で、いろいろなところで紹介されていて、有名だと思います。

ここからの進行も、スリル満点で非常に面白いので見てみたいと思います。


棋聖戦の手順

5図から先手は▲2六飛と引きます。後手はすかさず△3五飛と歩損を解消すると、▲3三角成△同桂▲4六角で両取りが決まった様ですが、△2五歩と飛車の鼻っ面を叩いて▲2七飛と引かせ、更に△8五飛と回って▲8八歩と受けさせて、△7三角と気持ちに良い手順で両取りを受けてしまいます。(6図)

(6図)

(5図以下▲2六飛△3五飛▲3三角成△同桂▲4六角△2五歩▲2七飛と引かせ、更に△8五飛▲8八歩△7三角まで;6図)

先手は▲3四歩と桂頭に歩を打ち、後手は△4五桂と逃げつつ先手の玉頭を窺います。

飛車の素抜きの筋がある為、2五の歩は取れず、先手は▲7七桂と後手の飛車を追います。

後手は△8六飛と4六の角に狙いを付けながら躱します。▲6五桂と先手も後手玉に照準を合わせつつ、角当たりとしますが、△9五角が飛車の影から間接的に先手玉を狙います。

後手の狙いを▲7七歩と受けますが、△8四角とされると、5七の地点の守りを空けるわけには行きません。(7図)

(7図)

(6図以下▲3四歩△4五桂▲7七桂△8六飛▲6五桂△9五角▲7七歩△8四角まで;7図)


▲5八金と中央を受けて角を動ける様にすると、今度は△8五飛と攻めの根元の桂を狙います。これに対して、桂を活かした有効な攻めも難しく、▲9一角成△6五飛と互いに駒を取り合います。

先手も手厚く▲4六馬と引いた手に△2六桂と飛車先を押さえながら3八の銀当たりとします。▲4九銀に△7三角と馬に角をぶつけます。(8図)

(8図)

(7図以下▲5八金△8五飛▲9一角成△6五飛▲4六馬△2六桂▲4九銀△7三角まで;8図)

この8図までの手順は、内藤先生の面目躍如と言う感じで、本当に気持ち良く、こんな華麗な手順は並べるだけでもすごい爽快感が有ります。(私なんか、自分が強くなったのと勘違いしてしまいます。)

この進行中に変化手順は多数有るのですが、省略しています。最善の応酬では無いのですが、鑑賞する価値は充分にあり、現代の横歩取りにも通ずるエッセンスが有ると思います。


まとめ

今回は、横歩取り△3三角戦法の内藤流と呼ばれる形の、初期の実戦例を見てみましたが、スリル満点で非常に面白い将棋だと思います。

個人的な意見ですが、本局も含めて、横歩取り名局集とか言う企画で実戦集を出してもいいくらいだと思いますが、マイナビさん検討してくれませんかねぇ?


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