生まれてから今日に至るまで自分にとって忘れ得ない人がいる。

妻はもちろんその1人であります。


私が思う生きてきた証というのは、自分が亡くなった後どれだけの人の心の中に良い形で残るかだと勝手に思っているのですが実際のところどうなんでしょうか?


どんな人でもきっと誰かの心に残っている。そんな人に僕もなりたいと願っている


人数の問題ではなく誰か1人だけでも


そういう意味で言うとおそらく僕はたぶん大丈夫かなと思います

毎日子供のことで考えない日はないくらいにいろいろ悩んでいるし関わってもいるので。笑


子供というのは不思議な存在であります


この世で一番めんどくさくて、そして一番そのことに頭を悩ませるが大切な存在である。そして出来の悪い子ほどかわいいと言うのも本当にその通りと言う


子供が子供から大人になってもこの心配する気持ちは尽きないのかと思うと空恐ろしくもなるが本能のなせる技なのか、もう知らんとはならない


さて、家族以外の他人に対してとなるとまたこれは人それぞれであります。


生きていて心から大事に思う人に巡り会う可能性は滅多にないかもしれませんが、幸いなことに私には数人います。


愛されたい大事にされたいと願っていたのがいつしか何よりも大事にしたいと思う人がより多い人の方がしあわせなんじゃないかと最近思うようになった気持ちの変化があります


今日は先日亡くなった先代社長のことを書こうと思います。

先日と言っても3月であるのでかれこれ2ヶ月前のことである。近しい人にとってはそれはつい最近のことであるしそうでない人の場合にはもうだいぶ前と言う感覚であります


私はお世辞にも良い社員ではありませんでした。

一言で言うと妙に生意気。

能力が大して高くないのにも関わらず反抗的で血気盛んな上にプライドだけは高い

すぐ意固地になり融通が効かずどこか意地悪な性格であり、顔も大して良くない上に誇大妄想を抱く


改めて思い出しながら悪い点をあげつらうと自分でもうんざりするほど嫌なやつであるし、別に自虐で言っているわけでもなく本当にその通りで、開き直っているわけでもなんでもなくあるがままの私とは真実この通りです


もちろん良いところもあるのですがそれは今回言いたいことではないので人の批評に委ねるとしまして


本題は、このような私を見捨てず辛抱強くコツコツ育ててくれた先代社長が本当に不思議な人で、愛情深いのか超合理的な性格であったのか未だ測りかねているところです。


ずいぶんいじめられもしたし、同期の社員に比べて必要以上に厳しくもされたので、いつか見返してやろうとか、思い通りになってたまるか!等々何度も思いながら兎にも角にも結局のところ、私は彼の掌の上で転がされて会社の代表ということになりました。

一般的に社長と言うと(私の場合半分は専務であるが)人はすごいと言いいますし、本人もさぞ嬉しいんだろうと勘ぐられている気もしますが、本心から言うと私は嫌だなと思うことだらけです。(良いことももちろんたくさんある。)


今、日本の中小企業の社長さんで本当に楽しんでいる人や、やにさがって俺は社長だ!すごいだろとかいいだろーとか思っている人はあまりいない気がしております


うまく言えませんが普通に考えたら気がおかしくなりそうな時が多いですし、後継者のいない中小企業は後釜を誰にするかと言うのが最大の壁になっており、ましてや私の場合、先代の息子として生まれてきたわけでもなく、野望も何もなくサラリーマンとして社会人になったから尚更です。


代表になる前には何度も辞めようとしたし、多少暴れもしましたが周りからあれやこれやと言いくるめられて辞めどきを失い、役員に選抜された際も、あーだこうだと断り続けながらも、どうにも逃げられず言いくるめられ、最後の最後はなだめられたり半分恫喝に近いものでありました。


さて、そんなこともありながら気がつけば今年50歳です


多少丸くなった気もしますが、本質が基本的に変わっておりませんので、やはり近頃はますます先代社長のことが不思議に思ってきています


私は彼になることはできないし、周りからそのように見てもらうことも終生叶わないことであるのですがそれでも、もがいたり悩むことは多々あります


うまくできない時にそれは焦燥感が募りますし全部投げ出したくもなります。それをしないのは恐らくプライドの高さによるところなのかもしれません。普通の人ならとうの昔にしれっとやめれば良いだけなのに何故かできません悲しいことに。


そしてもう一つ、私は彼から晩年たくさんの言葉をいただいているのもあります


それは心に残っているものも有ればデータとしてきちんと残っているものもあります。どんな気持ちで託してくれたのかそれはわかりませんが、パソコンを渡されていたのです。

中を見ていらないものは消去して、必要なものだけ残しておくようにと言う言葉とともに


私は妻からいろいろなものを託され、今もそれをなるべく守って生活しています。


そして社長からもたくさんのことを託されました


彼は私の中に今も生きていて、そして出来の悪い子ほどかわいいと言うことを最近になって思い返してみて、もしかして私は大事にされていたのかな?とふと思うのでした。