和食を代表する「天ぷら」は、ポルトガル人によって日本に伝えられたものということは、よく知られています。



料理名の由来もポルトガル語の”Tempero”(調味料)からきていますが、天ぷらはそもそもポルトガル料理ではなく、そのルーツは、なんと6世紀のペルシアにあるというのだそうです。

『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』(ダン・ジェラフスキー・著、小野木明恵・訳/早川書房・刊)によると、天ぷらの物語は6世紀中頃のペルシアに始まります。



ホスロー1世アヌーシールワーン(501579年)は、ササン朝ペルシア帝国のシャーハーンシャー(王の王)で、彼の好物はシクバージと呼ばれる、甘酸っぱい牛肉の煮込み料理でした。



シクバージの詳細はレシピによって異なりますが、いずれにしても具だくさんの牛肉の煮込み料理。

鶏や仔羊が入ることも多く、たくさんの種類の香草と、ときにはいぶした木のチップで風味付けをして、必ず大量の酢で漬けてあります。

ぴりっとした風味のある酢は、バビロニアの時代から優れた保存食としても知られており、シクバージは瞬く間にイスラム世界を席捲。。。

その中に船乗りたちが好んだ食べ物は普通の人々より保存食に頼ることが多く、肉ではなく魚のシクバージを最初に作ったのは、こうした船乗りだったのかもしれません。

10世紀にはすでに魚のシクバージが作られていた様ですが、最初のレシピとして見つかったのは13世紀のエジプト。

小麦粉をまぶしてから揚げた魚を、酢とハチミツと香辛料で味付けしたもの。

魚のシクバージのレシピは、その後、地中海の港をつたって西へと広がり続け、それにつれて料理の名前とレシピも変容していったようです。

1500年代初めのスペインとポルトガルには、シクバージから派生して近しい関係にある、揚げた魚に酢をかけて食べる料理、「エスカベーチェ」や「ぺスカド・フリート」がありました。



シクバージはこうしてヨーロッパの西端に到達。

しかし、その旅は終わりません。シクバージから派生したもうひとつの料理であるぺスカド・フリートが、ポルトガルのイエズス会によって日本に持ち込まれました。1639年頃に完成した、ポルトガル料理とスペイン料理のレシピが日本語で書かれた『南蛮料理書』に、衣をつけて揚げた魚のレシピが載っています。



そうしてこの料理は日本語で「天ぷら」と呼ばれるようになったのです。


今日は「天ぷら」が食べたい。

「とんでん」もあるけど、今一つ。

なら「そば屋」では。。。



やって来たのは「ごまそば遊鶴」さん。

もう入店時から脳内は「天ぷら」‼️





メニューもそこそこにホールスタッフに「上天ぷらせいろ」とビール🍺を注文したはず。。。

天ぷらをツマミに昼酒です。

待つ事暫し。。。





ビール🍺と共に「上天丼セット」

アレ?天ぷらじゃない?

「あの〜上天ぷらじゃなかった?」

「いえ!天丼でご注文頂きましたが・・」年配のホールスタッフさんがキッパリ‼️

ウヘ〜天丼か?



甘辛いタレが苦手。。。

でも天汁で天ぷら食べたかったなぁ。。。

仕方なく天丼とビールでチビチビと。。。

飲みながら、自分でも情けなくなります。

天ぷらと天丼を間違えるなんて。。。


天ぷらを食べる時に思い出すのが、F1ポルトガルGPHONDAが天ぷらパーティー。



当時は伝説のドライバー、アイルトン・セナがHONDAで活躍していた時代。



エストリルはリスボン近郊の海沿いのリゾート地で、魚介類がとてもおいしいところ。



F1のパドックには各チームの大型モーターホームがずらりと並び、それぞれが料理人を雇ってチームスタッフのために食事を作っていましたが、「日本人は米を食べないとパワーが出ない」というメカニックたちの要望でHONDAでは和食が多く、寿司、焼き鳥なども出されました。



そして毎年ポルトガルGPのとき、HONDAは他のチームの関係者にも声をかけ、盛大に天ぷらを振舞っていたのです。



ポルトガルで天ぷら。



歴史の空間を飛び越えて、美味しい天ぷらをセナも堪能したでしょうね。