今晩は!
どうでもいいヨタ噺の時間ですよ。
ご家庭や職場でチョットしたネタ噺をお届け!
1772年(明和9年)午の刻(午前12時頃)下目黒村行人坂にある大円寺に一人の男が忍び入りました。
現座の大円寺
男は願人坊主(依頼人に代わり願掛けをする乞食坊主)の真秀で、騒ぎが起きた隙に盗みを働こうと、寺の灰小屋(回収業者に売る落ち葉の灰や火鉢、線香立ての灰などを溜めておく小屋)に火をつけました。
ところが南西の風が強く吹いていたので火の回りが早く、一物も取れずに逃げ出したのです。
目黒行人坂火事、江戸の三大火事の始まりです。
大円寺から出火した炎は、強風にあおられて瞬く間に燃え広がり、江戸の街のほとんどが焼かれ、その数934か町、町家の焼失戸数は数えきれず。。。
大名屋敷も169か所、寺と神社382か所焼失。
1万4700人が死亡し4000人余が行方不明となりました。
米沢藩の上屋敷も焼失。
時の米沢藩のお殿様は上杉鷹山公。
上杉鷹山公
領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られた方です。
焼失した米沢藩・江戸屋敷の再建のために米沢市大字入田沢字塩地平の山林の木々が伐採されました。
また、1780年(安永9年)の4月17日にも、現在の米沢市粡町・銅屋町・立町などで大火があり、その復興のために大量の材木が伐採されました。
日本最古の草木塔
鷹山公は、その山林の木々に対する感謝の念から、山形県米沢市大字入田沢に、その成長を願って建立された石碑・草木塔を建てたと伝えられています。(異説もあり)
因みに、江戸っ子の間から、この年は明和九(めいわく:迷惑)の年だと声あり、幕府も捨て置けず、ついに12月10日(旧11月16日)安永と改元しましたが、そこで落首「年号は安く永しと変はれども諸色(物価)高直(値)いまに明和九(迷惑)」。
ん?草木塔?
札幌市南22西7のアクロスプラザ南22条は食品スーパーやパン屋さん、ドラッグストア、100円ショップ、ベビー・子供用品専門店、
飲食店、メガネ屋さん、医療機関・・
生活に役立つお店が色々入っています。
勿論、ラーメン屋さんもあります。
それが「らーめん草木塔」さん
「らーめん草木塔」さんは旭川の有名チェーン店の山頭火さんにて修行を積まれた「吉山商店」のセカンドブランドのお店。
今日は家族で夕食にお邪魔しました。
入店。。 。
券売機はタッチパネル。。。
お子様連れが大勢。。。賑わっています。
食券は塩。。。900円。
カウンター 9席、テーブル 4×3席とゆったりとした空間。
矢張り吉山商店さんではこうしたはユッタリとしたお店作りが基本なんでしょうかね。
スタッフの皆さんキビキビと動き、大きな声が出ているのでこっちまで気持ちが浮き立ちます。
やがて「塩」登場!!
矢張り・・山頭火リスペクト‼️
白濁スープの上にはバラチャーシュー3枚、メンマがわりの牛蒡、キクラゲ、二種類の切り方のネギ、海苔。
真ん中に小梅があり、白地にピンクの渦巻きナルト。
先ずはスープを一口!!
スープは豚骨と鶏ガラベースに香味野菜などで取ったスープを合わせたスープ。
白濁しており粘土もあります。
うんッ!中々旨い!
焦がしたラードの風味が鼻腔をくすぐります。
素直にスープの出汁と塩の風味を楽しめるとは言えませんが、「塩」にパンチを与えて、満足感満点‼️
麺は「カネジン」の中くらいの縮れの札幌麺です。
札幌麺らしいコシとプリっとした感じがほどよく美味しい麺です。
でも本店使用の麺より加水が低めですね・・
厚めのバラチャーシュー3枚は部位が違い、柔らかめでなかなか美味しく満足感あるチャーシューですよ。
メンマの替わりに味付けした牛蒡にナルト、刻んだキクラゲに二種類の切り方のネギに、あとアクセントに小梅。
スープの最後の一滴まで頂きました。
ゲップが出たら・・焦がしの風味が・・
「種田山頭火」の句集に「草木塔」というものがあります。
師匠・山頭火さんへのリスペクトかな?
それとも。。。鷹山公へのリスペクト?
店名はどちらから付けたのでしょうね。
ご馳走様です。
今回の「らーめん草木塔」さんは☆☆☆☆☆☆とさせて頂きます。
いつも最後まで読んでくださって本当に有難うございます。
ラーメンの画像以外の写真はネットから拝借しました。有難う御座います。