爺ィは小学生3年。
一番ハマってた「月光仮面」‼️
今思うと変な出立ですよね。
三日月のマークをつけた白いターバンに白マスク。
白いシャツに白タイツ。。。
サングラスをかけて、オートバイを駆り、二丁拳銃を武器に悪と戦う月光仮面は、悪を懲らしめるが、決して殺すことはありません。
国産テレビヒーロー第1号の「月光仮面」は、贔屓目に見てもカッコ良いからは、かけ離れたお姿です。
こんな姿の人に街で出会った。。。
怪しい人。。。
月光仮面は1958年2月24日から1959年7月5日までKRテレビ(後のTBS)で放送されていた川内康範原作の連続テレビ番組に登場する覆面ヒーローの名前。
日本の特撮ヒーロー番組の元祖。
テレビ放送が始まった当初、KRテレビでは圧倒的なコンテンツ不足でした。
輸入して放送されていた海外ドラマには人気が高まっていた為、国内で人気番組を作る必要性が出て来ました。
手を挙げたのは、ネオンサインというアイディアで広告業界を席巻した宣弘社の小林利雄社長。
ですが、テレビ局ではない一広告代理店の宣弘社には、制作のノウハウはおろか、人材も機材も何も有りません。
当時、黄金期を迎えていた映画会社からすると、程なくしてテレビが映画を駆逐して行く未来など想像しえず、子供騙しのテレビに商機は見出せず、なにも協力してはくれません。
そこで、作家の川内康範氏に相談。
当時、既成の映画業界の下っ端で汗をかいていた若いスタッフ達を紹介して貰い、制作に入ります。
川内康範氏
当初、川内氏は「おどる仮面」というタイトルで現代版『鞍馬天狗』のような原案を書き、それは子どもたちが危機に瀕してはどこからか仮面の男が現れて派手なアクションで解決するというものでした。
あるスタッフは、このヒーローが平時は菩薩のように姿を隠し、悪事はびこるときに俗世に降臨する存在と考えて日光菩薩に因み「日光仮面」はどうか?と提案しました。
それが議論するうちに、月光菩薩に由来する「月光仮面」が良いのでは、という事に。。。
そっちのほうが子どもたちに最もアピールする響きではないかということで、こうして、ヒーローの名が決まりました。
さて、主演は?
映画で有名な俳優はテレビなんて見向きもしません。。。
そこで、マスクをして顔を隠す事で当時無名だった大瀬康一さんに決めたのです。。。
こうして放映にこぎつけた「月光仮面」は、子供達に絶大な人気を得て、放映時間には銭湯が空になるくらいでした。
因みに、大瀬さん、タイツの下に履くサポーターが忙しすぎて面倒になり、履かずに撮影。。。下半身の形が明確に出てしまい、視聴者から指摘されたと言いますよ。
爺ィも家から風呂敷を持ち出して「月光仮面」ゴッコ‼️
今日はラーメン🍜記事は・・💤お休み。。。
「月光仮面」の記憶に浸りましょう。。。
でも、今思うと子供のヒーローモノの主人公って・・
「ウルトラマン」も初めて見たときは、あの無表情なビジュアルに衝撃。。。
「仮面ライダー」にしてもバッタそのもののグロテスクな風貌で強烈なインパクトがありましたね。。。