今晩は!

どうでもいいヨタ噺の時間ですよ。

ご家庭や職場でチョットしたネタ噺をお届け!


どこのご家庭にもある照明。

お宅は発熱電球?それとも蛍光灯?LED??

今日は蛍光灯に注目。。。

蛍光灯の出現は意外に古く、米国GE社のインマン博士が発明した蛍光ランプが実用化されたのは1934(昭和9)年、一般への販売が始まったのは東芝で量産体制が整備され1937(昭和12)年からでした。

東芝は早急に事業化しようと、1939(昭和14)年に3名の技術者(藤田文太郎、射和三郎、轟甚三)GE社に派遣し、インマン博士から直接技術指導を受け、翌年には少量ながら蛍光ランプの製作に成功しました。

すべての部品が手作りで、GE社の指導を頼りに試作が進められ、4本足の真空管のベースを取り付けて完成させたそうです。



国産初の蛍光ランプ(昭和15年)


その後、国の紀元2600年記念事業の法隆寺金堂壁画模写事業において、熱がなく明るい照明として完成の域に達していた開発中の蛍光ランプが採用され、1940(昭和15)827日、試作品の20W昼光色蛍光灯を136灯使用、点灯方式はチラツキを避ける2灯用フリッカーレスが用いられ、法隆寺金堂壁画を照らす事に成功。




これが日本で初めて蛍光灯が実用化された記念すべき日。


日本初の蛍光ランプ 法隆寺金堂壁画を照らす


その後、翌1941(昭和16)年に蛍光灯を「マツダ蛍光ランプ」として、昼光色15W20Wを正式に発売。

15W20Wともに管径は38mmで、全長は435mm580mmでしたが、明るさは現在の半分以下だったそうです。

1942(昭和17)年には、昼光色蛍光ランプの生産は月産約2,000本に達しましたが、1944(昭和19)年には軍需用に転換させられ、戦時中は、発熱量の少ない蛍光灯として、潜水艦の照明用に耐震性の高い20W昼光色が、また航空母艦の着艦灯として12W緑色が採用されたほか、無影灯用としてほとんど全製品が海軍艦政本部に納入された様です。

戦後になると、真空管の製造拠点であった東芝・堀川町工場を本社に直結した工場組織に改め、まず1946(昭和21)年に誘蛾灯の生産から出発。。。

一般用蛍光ランプの生産開始の足がかりとし、1948(昭和23)年には昼光色蛍光ランプの生産も再開し、翌年には改良蛍光体を使った効率の良い白色ランプの開発とともに、光出力の大きい40W蛍光ランプを完成し、横浜で開催された貿易博覧会で点灯し、話題となりました。



わが国最古の蛍光ランプスタンド


1951(昭和26)年には、蛍光ランプの明るさを世界的水準まで上げ、平均寿命も一挙に2倍の3,000時間をマークし、管端黒化の発生も抑制。1952(昭和27)年には早期寿命推定法を品質管理に導入し、陰極物質の研究を重ね、米国で発表された耐熱性酸化物に代わる長寿命新陰極物質を開発した。1954(昭和29)年には平均寿命が7,500時間と向上し、明るさとともに外国主要メーカー製品と比肩することができました。。。


今日のラーメンは山形名物。

名店の味を徹底再現、クックランド製造、ノリット・ジャポン販売の「UMAMY 名店の一杯 煮干し中華専門店 雲ノ糸」。



「雲ノ糸」さんは山形県鶴岡市に本店を置き、毎日食べられるほどあっさりした美味しさの「中華そば雲ノ糸」 一度食べたらこってりした味が忘れられなくなる「ラーメン 風林火山」など庄内・酒田エリアに根付いた人気店。



2017年にオープンした煮干し中華の専門店「雲ノ糸」は、煮干しダシにこだわったスープが人気を呼び、「毎日食べても飽きない」と絶賛され、行列の絶えない名店。

その味を自宅で食べられるように徹底再現したというのが、今回発売された「雲ノ糸」。


先ず開封すると中太麺と煮干し醤油スープ。



調理は鍋一つ。

550ccのお湯を沸かして麺を56分茹でます。



最初の4分くらいは麺に触らず、残りの時間が来たら箸で軽くかき混ぜ・・



雲ノ糸煮干し中華スープを入れたら出来上がり!!



今日のお供も何時ものの三銃士。



ホワッと煮干しの香り・・

先ずはスープを一口!!



透き通った醤油スープに、ほんのり煮干しが香るスープは液面にわずかに動物系の脂が浮かびます。

旨味の強い真イワシなど数種類のイワシの煮干で出汁をとっているため、スープに深みがあります。

何処か懐かしい風味。。。

飛び抜ける美味しさはないものの、くどさの全くない優しいスープです。



麺は袋麺には珍しい「中太い縮れ麺」
手もみされたピロピロ感がよく出ていて、麺肌もツルツル・・

通常より長く56分ほど湯がく訳ですね。






お供の三銃士も今日は良い働き方。。。


スープの最後の一滴まで頂きました。


😋😋😋