今宵も「爺ィの夜話」をどうぞ!
第123話は・・
津山事件とは1938年(昭和13年)5月21日未明、岡山県西加茂村貝尾集落(現・津山市)で、その事件は起きました。
犯人は同集落に住む当時21歳の都井睦雄であったため「都井睦雄事件」ともいいます。
都井は事件の数日前から、実姉をはじめ数名に宛てた長文の遺書を書いていました。
更に自ら自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、難を逃れた住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど(当時、西加茂村駐在所の巡査は出征で欠員中だった)、犯行に向け周到な準備を進めていたことがのちの捜査で判明しています。
自分の姉に対して遺した手紙は、「姉さん、早く病気を治してください。この世で強く生きてください」という内容だったそうです。。
1938年(昭和13年)5月20日午後5時ごろ、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾集落のみを全面的に停電させました。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはありませんでした。
翌5月21日1時40分ごろ、都井は行動を開始します。
詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭には鉢巻を締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえつけました。首からは自転車用のナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持ちました。
犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負いました(そのうち12時間後までに2名が死亡)
その後自らも命を絶ちました。
この事件が貝尾集落に与えた影響は大きく、一家全滅したところもあれば一家の大部分を失ったところもあり、集落の大部分が農業で生計を立てているため、かなり生活が苦しくなったとされています。さらに、都井の親族であり、都井から襲撃を受けることのなかった一家が、企みを前々から知っていて隠していたのではないかと疑われ、村八分に近い扱いを受けたともいわれています。
また、都井は当時幼なじみと婚約していましたが、肺結核に感染した都井との結婚を周囲に反対され、2人は破局、女性は別の男性と結婚。都井はそのことから犯行に及んだ可能性があり、肺結核に対する自身への悪口を言った村人を順に殺害したといわれています。
しかし、都井は幼馴染の女性をわざと手にかけなかったと当時は噂され、その女性は事件後に貝尾を離れ、他の集落に転居しました。現在生死は不明。
被害者の一人であるにも関わらず周囲からは「被害を作った張本人」と見なされ、何年経っても地域社会から孤立していたようです。
今日のカップ麺は、セブンプレミアムの「銘店紀行 神奈川 横浜 キャベツ特盛 家系豚骨醤油 横浜ラーメン六角家」
製造は明星食品。
「六角家」は、実店舗にはお邪魔した事ないので先ずはネット情報。
「六角家」は1988年創業の神奈川県横浜市にあるラーメン店。かつて本店が神奈川県横浜の六角橋商店街にあって、家系ラーメンの名店として有名です。全盛期には全部で6店ありましたが、現在は横浜戸塚にある戸塚店を残すのみとなっています。
カップ麺の別添袋は「後入れ特製オイル」の1袋のみ。
カップにはチャーシューチップ、ほうれん草、ネギが入っています。
熱湯を定量注ぎ5分間。
蓋の上には「後入れ特製オイル」をスタンバイ。。。
時間が来たら蓋を開け、「後入れ特製オイル」を投入!!
おおっ!!意外と具材が入っています。
「後入れ特製オイル」はほんのりと、いい香りが・・・
我が家にあった味付け海苔を入れると家系ラーメンスタイル。
先ずはスープを一口!!
豚鶏がベースとなっている、豚骨醤油味のスープは、醤油味の塩けはあまり強くないですが、醤油の香りは強めに感じられます。
円やかな仕上げながら、鼻に抜ける豚の旨みが感じられる一方で、豚骨感は余り感じないですね。
家系ラーメンらしい豚の重厚感はちょっと物足りないように思います。
豚骨よりも鶏の風味が強いのは「後入れ特製オイル」の鶏油のせいかな?
家系ラーメンらしいガツンとした味を求めると、肩透かし。。。
でも豚骨と鶏のバランスが良く食べやすいラーメンですね。
麺は湯戻し時間5分の、縮れのついた太いノンフライ麺で縮れの強い太い油揚げ麺です。
ガッシリした噛み応えがありますが、重厚感のない家系スープの中では、今一つシックリ来ませんでした。
具はハムみたいな食感のタイプで、あまり肉感のないチャーシューチップに加え、家系ラーメンの特徴であるほうれん草と、ねぎが入っています。家系ラーメンのもう一方の特徴である海苔は我が家の味付け海苔を入れたのですが、このチョイスは。。。
スープの最後の一滴まで頂きました。
小説「八つ墓村」は、横溝正史氏の代表作。
彼は、農村を舞台にして、そこで起こる色々な葛藤を織り込みながら、出来るだけ多くの殺人が起きる作品を書きたいと思っていたところ、坂口安吾の「不連続殺人事件」を読み、同作がアガサ・クリスティーの「ABC殺人事件」の複数化であること、そしてこの方法なら一貫した動機で多数の殺人が容易にできることに気がつき、急いで本作の構想を練り始めました。
そこで「獄門島」の風物を教示してもらった加藤一(ひとし)氏に作品の舞台に適当な村として伯備線の新見駅の近くの村を教えてもらったところ、そこに鍾乳洞があると聞き、以前に外国作品の「鍾乳洞殺人事件」を読んだことがある事から俄然興味が盛り上がったようです。
作品の書き出しに当たって、衝撃的な過去の事件「津山事件(加茂の30人殺し)」が初めて脳裏に閃きました。
スケールの大きな伝奇小説を書いてみようと思い立ち、それには津山事件はかっこうの書き出しになると気がつきました。但し、作品の舞台はわざと津山事件のあった村より遥か遠くに外しています。また、本作の発端である32人殺しの際の田治見要蔵のいでたちは「岡山市のデパートで催された「防犯展覧会」に出ていた津山事件の犯人の事件当夜のいでたちの想像図を借用に及んだものである」と述べています。
物語は、冒頭部分を作者が自述、それ以降を主人公の回想手記の形式で進行、山村の因習や祟りなどの要素を含んだスタイルは、後世のミステリー作品に多大な影響を与えました。
が、横溝正史氏は津山事件で殺された方達の無念さや、生き残った方達の事件を忘却の彼方に追いやり、触れたくない気持ちを斟酌しなかったのでしょうか?
ご馳走様でした。
今回の「銘店紀行 神奈川 横浜 キャベツ特盛 家系豚骨醤油 横浜ラーメン六角家」さんは☆☆☆☆☆☆とさせて頂きました。
それにしても横溝正史さんて罪な人!!
いつも最後まで読んでくださって本当に有難うございます。