今宵も「爺ィの夜話」をどうぞ!
第103話は・・
トーマス・ブレーク・グラバーはスコットランド出身の商人。
トーマス・ブレーク・グラバー
グラバーは21歳の若さで長崎へ来て、貿易会社ジャーディン・マセソン商会の長崎支部としてグラバー商会を設立しました。
主に武器商人として幕末の日本で活躍した他「蒸気機関車の試走」「西洋式ドックの建設」など、日本の近代化に多大な貢献を果たしました。
また、一説には明治維新の立役者である坂本龍馬を支え続け、岩崎弥太郎、五代友厚、伊藤博文、森有礼など、主に土佐藩、長州藩、薩摩藩出身の明治維新やその後に活躍する多くの幕末藩士に影響を与えたとされています。
そんな彼にはある都市伝説が・・
彼の住んで居たグラバー邸にはフリーメイソンのシンボルが書かれた門柱が・・
この門柱がグラバーはフリーメイソンのメンバーであり、倒幕運動の裏には巨大な権力があって・・・という説の「根拠」として語られています。
「この門は、松が枝町47(旧小曾根町海岸通り47番)の住宅出入り口の門です。柱頭の彫刻は、フリーメーソンのマークで石工(メーソン)の使ったコンパスと定規を組み合わせたものです。
使用された石材が開港初期に居住地で盛んに使われた天草石であり、1865年(慶応元年)頃、47番の借地人がイギリス人であったことから、当時イギリスから渡来したフリーメーソンの人々が最初に定着したこの地に彼らのロッジのシンボルとしてマークを掲げたのもと思われます」
更に言うなら、このフリーメーソンの門柱が松が枝町から移設されたのは昭和41年だそうで、幕末から明治に活躍したグラバーと関連付けて語ることはちょっと無理があるのかもしれませんね。
西区山の桜島本店にはチョコチョコお邪魔してたのですが、相変わらず本店は常に行列・・札幌では珍しい九州ラーメンの独特な味わいが時折、無性に食べたくなります。
札幌の東北通りには「心繋」さん「ハナウタ」さん「銀波露」さん・・人気店がズラリ!
だから何時も素通りしてましたが、久しぶりに櫻島さんの鹿児島ラーメンが食べたくなって入店です。
お兄さんがお一人で切り盛り。。。
注文は「1枚チャーシュー」700円
先客も後続客も無し・・
アレ?本店は行列が出来たというのに・・
暫し後「1枚チャーシュー」登場!!
白っぽいスープの上にはボリュームあるチャーシュー、ゆで卵半分、刻みネギ、辛子高菜。
先ずはスープを一口!!
あれっ?こんなにあっさりだったっけ?
豚骨という感じがあまりしないので、非常に癖がない優しい感じです。
然し乍ら、アッサリ豚骨の旨味が美味しいです。
しかし・・
麺は「さがみ屋食品」の低加水ストレートの細麺。
博多ラーメンとは違い、あくまでシットリとした感じなのですが、芯は歯ごたえあり、これもまたあっさりスープと相性はよかったです。
それにアクセントになるのが辛子高菜。
これだけは塩分が強めで、いい薬味になっています。
卵は味付けなしの半熟卵が半分。これは特に・・
チャーシューですが、炙り系が1枚です。
これは好みによるでしょうけど、爺ィはここまでアッサリしたスープと麺なら、チャーシュー自体がチョット浮いてる感じがします。
肉自体も脂が多く、歯応えもあるのでねぇ・・
スープの最後の一滴まで頂きました。
明治維新後も造幣寮の機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めましたが、武器が売れなくなった事や諸藩からの資金回収が滞った事などで1870年(明治3年)、グラバー商会は破産。
グラバー自身は高島炭鉱(のち官営になる)の実質的経営者として日本に留まりました。
1881年(明治14年)、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも所長として経営に当たりました。
岩崎弥太郎とグラバー
また1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役としても活躍し、経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎に勧めて後の麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築いたそうです。
麒麟麦酒のロゴマークを考案したのはグラバー氏だと言われています。
麒麟麦酒のロゴのデザインを考える際に、グラバーはグラバー邸にあった狛犬が麒麟に似ていたのでこれをヒントにしたらしく、また麒麟という動物は、龍の顔に胴体が馬のようなので、坂本「龍馬」の名前を連想して、麒麟のロゴのデザインにしたと言われます。
信じるか信じないかは・・
ご馳走様です。
今回の「ラーメン櫻島 月寒東店」さんは☆☆☆☆☆とさせて頂きました。
いつも最後まで読んでくださって本当に有難うございます。