産経新聞の客員駐在員である、古森義久氏の投稿記事からだ。
このほど100歳で亡くなった、アメリカのヘンリー・キッシンジャー氏の外交について、
その一部は大失態だったと回顧している。
ヘンリー・キッシンジャーについては、ウィキペディアでは次のように書かれている。
アメリカ合衆国(米国)の国際政治学者、外交家、政治家。ニクソン政権およびフォード政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を務めた。1970年代のアメリカの外交政策に大きな影響を与えた政治家であり、東西冷戦で対立していたソビエト連邦とデタント(緊張緩和)を推進しつつ、ソ連と対立していた中華人民共和国との国交樹立を極秘で交渉し、1972年のニクソン大統領の中国訪問と米中関係正常化に道筋をつけた。ベトナム戦争からの米国撤退を決めた1973年のパリ和平協定でノーベル平和賞を同年受賞した。
古森氏はベトナム戦争当時、南ベトナム駐在の特派員だった。正にベトナム戦争の当事者の記者だったのだ。その彼がキッシンジャーの外交は大失態だったと言う。
ベトナム戦争の総括は、1973年1月のパリ協定だった。この協定が実現させたのは、米軍の完全撤退と米人捕虜の帰国だけだった。その後の2年余り、ベトナムでは南北双方の国家が軍事衝突を続け、真の平和は回復されなかった。北ベトナム側は2年後に国家の総力を南での軍事大攻撃に投入し、南ベトナムの政府と軍隊を完全に軍事粉砕した。和平のための交渉には一切応じなかった。和平協定が規定した「軍事行動の停止」「平和的な統一」「民族和解」などすべてに違反する軍事攻撃だったのだ。つまりキッシンジャー氏が進めた和平協定は有名無実でなんの成果も得られなかったわけだ。ノーベル平和賞などとんでもなかったわけだ。
要するにこの協定は米国にとってだけの和平であったわけだ。だから大失態と述べている。