インドは最近世界で注目されている。インド・太平洋などの呼称で世界でも太平洋にインドの文字が入ったし、今年中に人口が中国を抜いて世界一になったと言われている。そんなインドだが、意外と我々は知らないのではないか。下記江崎氏の評論でそのあたりがかなり理解できる。日本にもインド人らしき人を数多く見かけるようになった。
〇 日本軍と連携したボース
インドで近現代史見直しが進んでいる。N・モディ「人民党(BJP)」政権のもと、独立闘争の指導者ネタジ・S・チャンドラ・ボースに対する再評価が進んでいる。ネタジは指導者の意味の敬称で、ボースは敬意と親しみを込めネタジと呼ばれることも多い。安倍晋三元首相の主導で始まった日米豪印戦略対話(クアッド)の重要な柱が、インドだ。そのインドを深く理解するためにも、ネタジに代表される日印両国の近現代史を知っておきたい。
19世紀半ば、英国領に組みこまれたインドだが、19世紀後半、独立運動が起こり1947年に独立した。その独立運動のシンボルがマハトマ・M・ガンジーだ。非暴力主義を掲げたガンジーのもと、英国との交渉で独立を勝ち取ろうとしたのがJ・ネルーだった。
一方、ネタジは、非暴力・非服従だけでは独立を勝ち取ることはできないと考え、ネルーとは一線を画し反英の立場からドイツ、そして日本との連携に踏み切った。42年、マレー・シンガポール作戦に勝利した日本軍の(正確に言えば、藤原岩市少佐率いるF機関の)支援のもと、捕虜となった英印軍のインド兵らがシンガポールでインド国民軍(INA)を創設した。この動きを知ったネタジは亡命先のドイツから日本に移動し、INA最高司令官に就任する。43年11月に再び来日し、「インドを大東亜共栄圏に組み込まないこと」を条件にオブザーバーとして大東亜会議に参加した。
そして、翌44年、ネタジ率いるINAは、インド解放を目指して日本軍と共にインパール作戦を敢行するも敗退してしまう。45年8月15日、日本が敗戦したことを受けてネタジは台湾から中国・大連に向かおうとしたが、事故死した(「遺灰」は東京都杉並区の蓮光寺が預かっている)。
インパール作戦は戦術的には失敗だったが、政治的にはインド独立の契機となった。45年11月、英軍はデリーのレッドフォートでINA将校3人を「英国王に対する反逆罪」で裁判にかけた。「INAの兵士たちは愛国者だ」としてインド民衆は憤激した。コルカタ(旧カルカッタ)にあるネタジ記念館では、INA兵士たちを、The First Soldier in Indian’s Last War of Independence(インド最後の独立戦争における最初の兵士)としている。
デリーの英軍軍事法廷は、英国王に対して戦争を行った罪で終身刑を言い渡したが、インド民衆の激しい抗議活動と英印海軍のインド人乗組員による反乱のため刑は執行されなかった。そしてこの抗議行動を契機としてインド独立に向けた広範な大衆運動が起こり、47年の独立につながっていく。
〇 ネタジの再評価進めるモディ
独立後のインドの政治は、国民会議派(NDA)を率いるネルーが主導した。初代首相を務めたネルーは日本との国交樹立に際して戦後賠償請求権を放棄するなど、日本に対して一貫して好意的であったものの、日本と組んで軍事的手段をとったネタジについてはあまり言及してこなかった。そのためインドでさえ独立運動史において語られるのは専らガンジーとネルーの業績であった。ところが、89年にネルーの孫にあたるラジブ・ガンジーが首相を辞任した。ネルーとその一族が率いる国民会議派が戦後、インドの政治を主導し、非同盟中立を貫いてきたが、その一族支配が転機を迎えつつあった。米ソの冷戦終結と国際政治力学の変化のなかで、ネタジを尊敬し、経済成長と軍事を重視する人民党が台頭するようになったのだ。そして隣国パキスタンとの軍事紛争、軍事力を強化する中国との国境紛争に苦しむ中、2014年の総選挙で人民党が国民会議派に大勝し、ネタジの再評価を主張するモディが首相に就任した。
実は安倍元首相も第1次政権の07年、わざわざコルカタに立ち寄り、ネタジ博物館を訪問し、敬意を表している(同博物館の入り口には訪問時の安倍氏の写真が掲示されている)。
○ インドの動きに注目を
安倍元首相と意気投合したモディ首相は日本との安全保障の協力を強化する一方で、2019年、レッドフォートに残っていたINA軍事法廷跡を改装し、「ネタジ・チャンドラ・ボースとINA博物館」を開設したのだ。昨年12月、私もここを訪れたが、大東亜会議に参加したネタジの大きな写真が展示されていた。加えて昨年はネタジ生誕125周年に当たることから、モディ政権は首都デリーの中心部、戦没者慰霊碑「インド門」の近くに、大きなネタジ像を建立した。
インドは大きく変わりつつある。目覚ましい経済発展だけでなく、その背後で進む近現代史見直しの動きにも注目しておきたい。