逗子図書館に、「図書館探偵」と題する、シリーズもののパンフレットがある。そのNo.9に、逗子開成学園 ボート遭難事件 につい書かれたものがある。私は逗子の住民なのでこの有名な語りぐさとなった事件のあらましは知ってはいる。
改めて、この事件について概要をまとめた。
1910年(明治43年)1月23日、逗子開成中学校生徒11名と逗子小学校児童1名を乗せたボート「箱根号」が許可無く葉山を出艇し、七里ヶ浜の行合川沖で突風に煽られて転覆した。悪天候の中、海軍、漁船、潜水機船などによる懸命の捜索が続けられたが、事故発生から4日後の1月27日までに遭難者全員が遺体で発見される、という最悪の結末となった。
12名の若い命が失われた痛ましい事故に対して、東京芝増上寺から導師が遣わされ2月5日と6日に逗子開成中学校庭にて校長らを中心に大追悼会が催された。三角錫子作詞「ボート遭難の歌(真白き富士の嶺)」が鎌倉女学校の生徒によって歌われたのはこの時である。
小学生が一人含まれていたが、その兄である中学生徒が弟をしっかり抱きしめて発見されて人々の涙を誘ったことは美談として有名だ。鎌倉の稲村ヶ崎公園にその記念像がある(写真)。


稲村ヶ崎の遭難碑の上には、その美談の主徳田兄弟が抱き合うブロンズ像が立ち、肉親愛の感動を今に伝えている。
この哀歌「真白き富士の嶺」は私の大好きな歌で、時々カラオケなどの席で歌って紹介している(^^)。メロディーもすばらしい。

ボート遭難の歌「真白き富士の根」(カラオケでは、七里ヶ浜の哀歌)
三角錫子作詞、インガルス作曲
1. 真白き富士の根、緑の江ノ島
  仰ぎ見るも 今は涙
  帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
  捧げまつる 胸と心
2. ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
  風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
  力も尽き果て、呼ぶ名は父母
  恨みは深し、七里ヶ浜辺
3. み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
  月も星も、影を潜め
  みたまよ何処に迷いておわすか
  歸れ早く、母の胸に
4. みそらにかがやく、朝日のみ光
  暗(やみ)に沈む、親の心
  黄金(こがね)も宝も、何にし集めん
  神よ早く、我も召せよ。
5. 雲間に昇りし、昨日の月影
  今は見えぬ、人の姿
  悲しさあまりて、寝られぬ枕に
  響く波の、音も高し
6. 帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に
  我も恋し、失(う)せし人よ
  尽きせぬ恨みに、泣くねは共々
  今日も明日も、かくてとわに