掲記の件について日経ビジネスに記事をみつけた。葬送ジャーナリストの肩書きを持つ、碑文谷創氏の投稿だ。非常によくまとまっているので部分的に引用させていただき、まとめてみたい。

まず近年の葬儀費用の相場だ。かつては「葬儀費用約300万円」などと言われたのは20~30年前だ。しかし当時でもその分布をみると、平均といわれた200~300万円もかけているのは全体の1/4に過ぎず、実際は200万円以下が全体の6割を占めていた。またお布施も30万円以下だと突き返されるとも言われたが、平均額こそ47万3000円だったが、30万円以下が42%も占めています、とのこと。世間の「常識」と呼ばれている額と大きく離れている。要は常識などにとらわれることなく、自分の資力に合ったお布施にすることだ。

法事は、百か日、1周忌、三回忌(満2年)、七回忌、十三回忌、三十三回忌があるが、現在では七回忌までが多い。

ハカジマイが今話題だそうだ。引用する。
1970年代、日本は空前のお墓ブームに湧きました。地方から都市部への人口大移動に伴い、都市部での墓需要が高まり、民営墓地開発が行われ、従来の墓石も再建造されてブランド石に取って代わられていきます。ただし、墓は「永代使用」をうたっていますが、それには条件があります。「跡継ぎがいる」ことです。一方で、核家族が主流となり、その後は単身世帯が増加し、今や一般世帯の3割を占めるまでになりました。こうした単身世帯の増加は将来の承継されない墓の増加を意味しています。都市部への人口大移動は現在も進行中です。その結果、地方には管理されていない墓、放置されている墓が約2割もあります。
一方、「ハカジマイ」をするには今ある墓所を原状復帰する必要があります。それにはおおよそ1平方メートル当たり、約10万円必要です。それに従来の墓地のあったお寺へのお礼や新規墓地の購入となると最低でも30万円近くはかかります。そのまま放置される墓が多い中で、将来「無縁墳墓」となるより、責任をもって改葬しようとする選択は必ずしも「悪い」行為ではないのです。

僧侶について、この件も引用する。
全国に仏教寺院は7万カ寺以上あります。これは5万5000を数えるコンビニの店舗数より多いのです。寺が全国に展開し、民衆がスポンサーになってつくられたのは中世末期から近世初期にかけてです。江戸時代になると寺を新たにつくることは制限される一方、寺請制度が生まれました。誰もがどこかの寺に属し、葬式は寺で行い、墓地は寺墓地にという檀家制度が法制化されたのです。明治になり檀家制度は法制的根拠はなくなったものの、明治民法が家制度を根幹としたこともあり、生き延びることになります。しかし、さすがに戦後70年以上が経過し、檀家制度は崩れ始め、寺はいま危機的状況にあります。過疎化もあり不活動に陥っている寺が2万以上もあります。経営的に自立している寺は半分以下の3万程度にすぎないのが現状です。
首都圏は多くの地方出身者で成り立つ特異な地ですが、地方出身者が出身地の寺と関係をもつ例は少なくなっています。檀信徒関係にある人はほぼ半分、残りは寺と日常的に関係をもたない宗教的浮動層を形成しています。宗教的浮動層が寺に葬式を依頼しないのならある意味簡単ではあります。しかし「仏教を特に信仰しているわけではないが、死者にお経をあげないで送るのは罪悪感がある」とする人間が多いことが問題を複雑化しています。
檀家関係にあるかどうかに関係なく、日常的に信頼関係を結んでいない僧侶に葬儀・法事を依頼することは、ある意味ばくちのようなものです。そこでは質の担保はありません。問題は寺の僧侶に依頼するか派遣僧侶に依頼するかではありません。信頼できる宗教者を見つけられるかなのです。頼りになる紹介者を見つけることは普通の人には難しく、良い僧侶は自分で見つけるしかないのが問題なのです。
僧侶手配では間に入る事業者が少なくとも3割、多い場合には5割ものマージンを得ていることも問題です。中間事業者は「布施」という名の手配料から少なくないマージンを差し引き、葬儀・法事に出仕した僧侶に「日当」という労働対価を支払っています。世の中のニーズによって生まれてきた派遣僧侶ですが、解決すべき問題は多いのが実情です。この問題を解決する何かを生み出すことが求められています。


葬儀と共に私もそろそろ自分の入る墓をどうするか、考えねばなりません。父母が眠る八王子霊園も考えられるが、兄家族が継いでいます。我が家から遠いので二の足を踏んでいます。先日近場の霊園に下見に行きました。世界一周の船旅ができるほどの費用が必要なことが分かりました(^_^)。さてどうするか・・・。どうも死ぬのも大変だ。