【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】 

〝あり得ない出来事〟〝切り札〟中森明菜が2002年「紅白」でカムバック…「ファンの子たちが喜んでくれるのが私にとっては一番」

 

2002年。デビュー20周年を迎えた中森明菜は、大手のユニバーサルミュージックと契約を結び、カバーアルバム「ZERO album〜歌姫Ⅱ」(3月20日)を出すと、年末には悲願だった初のセルフカバーアルバム「Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド」(12月5日)も発売。その勢いで年末の「第53回NHK紅白歌合戦」の出場も決めた。「紅白」出場は実に14年ぶりだった。

「正直言って信じられない出来事でしたね」と振り返るのは当時を知るベテランの芸能記者だ。

「わずか2年前ですよ、当時所属していたレコード会社の社長が記者会見をした・・・

それがユニバーサルと契約したばかりか、『紅白』にカムバックですからね。普通に考えたらあり得ない出来事でしたよ」

「紅白」へのカムバックは明菜もうれしさを隠しきれなかった。

「何のために、この仕事をしているのかって言ったら、ファンの子たちが喜んでくれるのが私にとっては一番でしたから」と言うと、「『やった! 明菜! ありがとう。紅白を見るのが楽しみになった、うれしい』って喜んでくれる声が、私はもちろんですが、スタッフも本当にうれしかったんです」。

明菜の「紅白」出場は「昭和最後」の1988(昭和63)年以来だった。

明菜がカムバックした2002年の出場歌手は、演歌歌手が前年の26組から18組に減る一方、デビュー1年前後の若いアーティストら初出場組が14組もいて、『紅白』が一気に若返りを図った年でした。海外旅行や24時間フル営業のアミューズメントが増加し、年末年始の過ごし方が大きく変化し、特に若者の在宅率の低下がテレビの視聴に影響するようになり、それが『紅白』にも反映し始めていたのです。NHKも危機感を抱き始めていて、この年から放送総局長を中心に紅白検証プロジェクトチームを編成していました。そんな中、同局の看板番組『プロジェクトX』の主題歌『地上の星』が121週もチャートインしていたにもかかわらず『紅白』への出場を固辞し続けていた中島みゆきの初出場が決まり、黒部ダムから生中継したのもこの年でした。前年は出場を自粛したSMAPの復帰と合わせて、明菜復活は『紅白』の切り札的な要素でした。一方でユニバーサルからソニー・ミュージックエンタテインメントに出戻った(松田)聖子は落選しました…」(前出の芸能記者)

もちろん、明菜の実績もあった。

「デビュー20周年で企画された全国ツアー(18都市)が大盛況だったこともありますが、何と言っても移籍して第1弾のアルバムが7年ぶりにベストテン入りしたことが大きかったと思います」(音楽関係者)

「紅白」への復帰について明菜にインタビューをしたスポーツ紙の音楽記者は、当時について振り返った。

明菜は一見、気難しそうで近寄りがたい雰囲気ですが、実は気さくなところがあって、歌手仲間とあいさつをしたり、コミュニケーションを取るのが好きなのです。ですから、音楽番組が全盛だった時(80〜90年代前半)はたくさんの番組に出て、そこで仲間と会うのが楽しみだったようです。それが90年代に入ると、ドラマ出演も多くなり、取り巻く環境も変わったのだと思います。ドラマの現場も楽しかったのでしょうけど、本線は歌手活動ですからね。心のどこかに孤独感のようなものがあったのではないでしょうか。そんな意味でも『紅白』への復帰は、みんなと会う機会ができることが一番うれしく、楽しみだったようですね。それまでは、どうしても仲間と会う機会がなかったようですから…。リハーサルでおしゃべりしたいと言っていましたからね。実は明菜さんというのは寂しがり屋なのだと思いましたね」