【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】 

中森明菜、2002年にアルバムチャートで7年ぶりトップテン入り カバーした松田聖子の楽曲は「野ばら〜」から「瑠璃色〜」へ

 

中森明菜がユニバーサルミュージックに移籍した2002年当時のことだった。明菜のファン・サイトに「歌姫」の復活を望む声が多数寄せられた。おそらく多くのファンが「ボーカリスト」としての明菜を求めていたに違いない。実は「ZERO album〜歌姫Ⅱ」の裏には、そんな背景があった。

明菜の実質的なプロデューサーだった寺林晁氏(故人)はカバー盤に対し「簡単に想像し得るものに中森明菜らしさはない」とした上で「聴く人の期待や想像を、いかにきれいに、そしてすてきに裏切れるかが大事だと思っている」と語っていた。

では、選曲に明菜は絡んでいたのか。実は、明菜に収録曲について質問したことがあった。すると「いろいろな曲を聴いて…。おそらく100曲以上は聴いているとは思うけど、その中から数十曲を選んで、最終的には寺林さんに相談して決めるようにしています。寺林さんは、デビューの前から私をプロデュースしてくれているので一番、私のことを分かってくれているんです」と話していた。

では、移籍第1弾の「歌姫Ⅱ」のラインアップに松田聖子の「瑠璃色の地球」を加えたことはどうだったのか。当時の事情は、音楽プロデューサーの川原伸司氏が自著「ジョージ・マーティンになりたくて〜プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録〜」で「(MCAビクターから94年に発売した)『歌姫』の時から『松田聖子さんの曲を入れようよ』と本人とも話していた」とし、次のように記している。

「『私も好きなんですよ、聖子さんの歌を唄いたい。〝野ばらのエチュード〟を』と明菜さんから言われていたんですが、その時は何故、入れなかったんだろう? それで『ZERO album〜歌姫Ⅱ』の時に『〝野ばらのエチュード〟を入れましょう』と伝えたら、『覚えていたんですね』みたいなやり取りがあったんですが、本人が『あれ、歌詞が〝20歳のエチュード〟ってなるでしょ』と…20歳の歌なんですよね。それで『年齢的に、もう違う感じがするんですよ』と。そのあとで『川原さん、〝瑠璃色の地球〟って知っています?』『知ってるけど、ダメだよそれ』『なんでですか?』『俺の曲だもん』『は?』みたいなやり取りになって(笑)。『自分の曲を自分のプロデュースするアルバムには入れないよ。自分の曲をカバーさせるなんて、そんな横暴な作家じゃないし』」

しかし、最終的に「瑠璃色の地球」を盛り込んだのは寺林氏の「いいじゃないかー、最高だよ」の一言だった。しかし、川原氏の気持ちには、明菜が歌うことへの期待と不安があったようだ。さすがに同曲のレコーディングだけは立ち会うのをやめたという。

と言いつつも、気持ちの中では「どんな仕上がりになるのか、後の楽しみにしていた」とも。そして仕上がりを聴いて「すごいな」と思ったという。

同曲を作詞した松本隆氏からは「あの曲は、聖子だったらファンタジーだけど、明菜が唄うとドキュメンタリーになる。生きることに一度絶望したアーティストが、わずかに残された愛を分け与えたと唄うことが凄い」と言われたそうだ。その上で「確かに、今聴いても、本当に素晴らしいなあ、と思う」と自著でつづっている。

アルバム「歌姫Ⅱ」には、山口百恵の「秋桜」やテレサ・テンの「別れの予感」、ちあきなおみの「黄昏のビギン」、さらには竹内まりやの「シングル・アゲイン」などバラード系の名曲を中心に10作品を収録したが、明菜が、自身のアルバムで聖子の作品を刻んだのは、現時点でも「瑠璃色の地球」だけだ。

同アルバムは02年3月20日に発売され、4月1日付のオリコンのアルバムチャートで13位に初登場、その翌週から2週連続でトップテン入りした。明菜にとってアルバム・チャートでトップテン入りしたのは「la alteración」(1995年)以来、実に7年ぶりだった。