開高健、石原裕次郎、山口百恵、勝新太郎、長嶋茂雄…音読すると脳が若返る「昭和のスターたちの“心に沁み込む”名言」

美しきものにほほえみを

 

昭和の芸能界で燦然と輝きを放ったスターの言葉も脳に効く。

  石原裕次郎はポリシーとして以下を挙げた。

  「人の悪口は、絶対に口にするな。人にしてあげたことは、すぐ忘れろ。人にしてもらったことは、生涯忘れるな」

  日頃から口にしていたというが、確かにこれ以上の人生の教えはない。

  また、石原裕次郎の墓所がある總持寺(神奈川県)を訪ねると、印象的な墓碑が目に入る。そこにはまき子夫人の直筆でこう刻まれている。

  「美しきものにほほえみを 淋しきものに優しさを たくましきものにさらに力を すべての友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢醒めることなく」

  折に触れ、この言葉を読み上げながら、裕次郎の映画や歌に浸れば、かつての熱い思いがきっと蘇ってくるはずだ。 

 

 裕次郎と並ぶ昭和の二大スターと言えば、美空ひばりである。晩年、病魔との闘いで104日にもおよぶ入院生活の後、テレビやラジオに出演して、こう語っている。 

 「不死鳥というのは、新たに生まれた私のための言葉だと思う」

  「ひばりに引退はありません。ずっと歌い続けて、いつの間にかいなくなるのよ」

  この言葉とともに、ひばりの歌は日本人の心に深く刻まれている。

精いっぱいさりげなく生きていきたい

 名優・森繁久彌は'55年、映画の完成試写会で、客席にいた母親に向け、こう語りかけた。

  「ジダ落な青春時代を経ました私が皆さんの前で謝りたいと思ったからでございます。母さん、長い間ご心配をかけました。ごめんさない。でも久彌は今、この大勢のお客さんの前で、拍手で迎えられるようになったんです」

  母への思いに涙しない人はいないだろう。

 

  伝説のアイドル、山口百恵の引き際は見事だった。'80年10月5日に行われた、日本武道館での引退コンサート。百恵は客席にメッセージを送った。

  「私が選んだ結論、とてもわがままな生き方だと思いながら、押し通してしまいます。8年間、一緒に歩いてきたみなさんが『幸せに』って、そう言ってくれる言葉がいちばんうれしくて。みなさんの心を裏切らないように精いっぱいさりげなく生きていきたいと思います。いま、みなさんに『ありがとう』っていう言葉をどれだけ重ねても、私の気持ちには追いつけないと思います。本当に、私のわがままを許してくれて、ありがとう。幸せになります」

  これは事前に台本は一切なく、完全なアドリブだった。だからこそ、ファンの胸を打った。

 

  40歳で急逝した松田優作のこの言葉は有名だが、何度聞いても、活力の源になる。

  「うなだれていてもしょうがない。自分はできると信じ込め。もっと前を向いて生きろ。生きてることは楽しいことなんだ」

 

  豪快を絵に描いたような俳優・勝新太郎は、大麻事件で逮捕された後、記者会見でこう語って、世間の反感を買った。

  「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはない」

 

鉛筆何回も百恵ちゃんのDVD見てるから・・・この時の言葉、心の中に刻み込まれています・・・・

暗記はしてないけど