~秋野暢子さん記事より抜粋~

『おはようさん』で「国民的女優」として注目を集めた秋野さんだったが、次に出演したドラマ『赤い運命』では一転。山口百恵さんをいじめる役で意地悪な女に。
「あの当時は国民的いい子ちゃん女優みたいなイメージとはちょっと違う役をやって演技の幅を広げたいと思っていたので、『赤い運命』をお引き受けしました」
◆山口百恵さんをいじめる結構きつい役でしたね◆
「そうですね。百恵ちゃんをいじめて。本当にあの頃はファンレターというとカミソリが入っていましたし、大変でした。知らない子どもに石を投げられたりね(笑)」
◆お母様も結構大変な目に遭われたとか◆
「はい。商店街に買い物に行ったときに品物を売ってもらえなかったこともあったそうです。『あんな娘に育てて』って言われたりして。
あのドラマは40年ぐらい前なんですけど、テレビのなかの人物と役者を重ね合わせて見ていた時代というのでしょうか。一緒になっちゃったんでしょうね。母は何も言いませんでしたけど、ちょっと悲しい思いをさせてしまったかもしれません」
◆すごい選択でしたね◆
「国民的女優というイメージは…というのがなんとなくあったんでしょうね。何か、いい子ちゃんじゃない役をやってみたいとちょっと思ったのかな」
◆実際にやってみていかがでした?◆
「やっぱり放送がはじまっていろんな目に遭うわけですよね。石をぶつけられたり。それでさすがに何本目かに私がひるんだことがあったんです。悩んでしまって。
そうしたら三國連太郎さんに『芝居に迷いがある。ヒールはヒール役をちゃんとやらなきゃいけない。そのことが今は、暢子ちゃんは悲しいかもしれないけど、必ず演技の幅が広がっていくから一生懸命やりなさい』って言われて。
三國さんもヒールの役だったんですけど、そう言っていただいたことで、吹っ切れた部分があったと思います」
◆今振り返ってあの役を演じたことはどんなふうに思ってらっしゃいますか◆
「懐かしいです。同じような年代の方は、皆さん覚えていてくださっていて(笑)。結構笑い話になっているんですけど。いい経験になったと思います」
◆『赤い運命』で思い出されることは?◆
「いっぱいあります。あのときは、とりあえず、人前では百恵ちゃんと仲よくしちゃダメって言われていたんです。
百恵ちゃんの取材に記者さんたちが来ているときには仲よくするなって。普段はよく話したり、ご飯を一緒に食べたりしていたんです。
彼女が17歳で、年も近かったので仲がよかったんですけど、取材が来ると一緒にいちゃダメだって。ドラマと同じように、実際も仲が悪いようにって(笑)。
だから、そういうときはその場から離れたりしていました。本当は仲がいいのになあって思いながら」
◆シリアスな内容でしたけど、現場は?◆
「宇津井(健)さんと三國さんが中心になって、和気あいあいという感じでした。宇津井さんはもともと大映で色々やってらしていたので、中心になってとりまとめてくださって、そして撮影がはじまると緊張感をもってという感じで、とてもいい雰囲気でした」
◆かなり色々なドラマに出てらっしゃいましたね◆
「そうですね。若いときは本当に忙しかったです。ドラマは3本、4本同時にやっていましたし、1本のドラマにA班、B班、さらにC班を立てたりすることもありましたから。
特に百恵ちゃんとやったドラマは、百恵ちゃんが夜まで歌番組とかほかのお仕事でスケジュールが取られていたりしていて、撮影がはじまるのが夜の12時ということもあったんです。
もちろん普通に朝からはじまることもありましたけど、彼女のスケジュールで動いていたので、すごく不規則でした。
それで私も時代劇をやっていたので、昼間はかつらを被って立ち回りをやって、夜は『赤い運命』の撮影という感じで。

 

鉛筆2024/5/13 追記

 

秋野暢子 昭和の大スターと共演でヒール役 バッシングに「傷ついた」も「励まして」くれた大物俳優とは

 女優の秋野暢子(67)が13日、フジテレビ「ぽかぽか」(月~金曜前11・50)にゲストとして生出演。かつて大物俳優から送られたアドバイスとエールについて語った。 

 ゲストに対する勝手なイメージについて語る「ぽいぽいトーク」のコーナーに登場。「今だから笑える昭和ドラマの裏話あるっぽい」とのイメージに、「〇」の札を掲げてみせた。 

 秋野はドラマ「赤い運命」でかつての人気歌手・山口百恵さんと共演した。「百恵ちゃんはね、私が凄いいじめる役だったんですよ」と言い、「当時は役者と役柄が混然一体としてて」「だから百恵ちゃんをいじめている役だったんだけど、めちゃくちゃ嫌な女だと思われてて」と振り返った。 

 ファンからの反響は凄まじく、「だってファンレターとかカミソリ入ってたり、役なのに。あと子供に石投げられた。“百恵ちゃんをいじめるな!”って言って」と驚きの発言。「あと市場に母が買い物に行っても売ってもらえなかった。“あんな子供を育てて”って言われて」とも回顧した。

  中国に行こうとしても「中国大使館から“来ない方がいい”って言われて。“今来たら、あなたろくなことにはならない”って」と言われたこともあったとした。

   MCのフリーアナウンサー神田愛花から「やめちゃいたいと思わなかったですか、そういう役柄」と問われると、「私も一応19ぐらいだったから、傷ついたりもしたんだけど、三國連太郎さんが私のお父さんの役で、彼が殺人犯の役で、お互いにヒールの役だったから、三國さんが“暢子な、今は苦しいと思うけど、ヒールはヒールをやり切らないとダメなんだよ”って、“頑張れ”って励ましていただいて。でなんかちょっと吹っ切れたかな」と笑顔をみせた。