カフェ チャルルココ -4ページ目

パリ旅行…その5(最終回)

第四日目…帰国…おまけ



朝起きるともう六時半を過ぎていた。ゆっくりと着替えて七時十五分ぐらいに下に降りて朝食をたべた。四日間毎日同じメニューだったが、パン、牛乳、ハムに卵、そして果物、どれもみんなとても美味しかった。



朝食

九時過ぎに空港まで送ってくれる車がホテルに来るので、今朝はゆとりがある。荷造りをしたあと部屋で一服した。九時になった。まだ少し早いがすることもないのでトランクなどの荷物を持って、ロビーへ降りてチェックアウトした。ソファーに座って車の到着を待っていると、同じようにトランクと荷物を持った六十代と思しき日本人の女の人がやってきて離れた席に座り話しかけてきた。同じ車を待っているという事であった。彼女は新潟の旅館のおかみさんで、子供たちがパリ旅行プレゼントしてくれたという事であった。大変な話好きの人で、そのあと飛行機に乗るまでずっと話しかけてきた。乗る飛行機も同じで、どうなることかと心配したが、幸い席が離れていたようで、搭乗後二度と会う事はなかった。十一時過ぎに空港に着きチェックインの手続きをする。免税品などのお土産も特に無かったので簡単に済んだ。椅子に座って搭乗時間まで待つ。様々な航空会社のCAが通り過ぎる。腰までスリットの入った制服を着た背の高い女性の三人連れが通り過ぎた。コリアン航空のCAかな、と妻と話した。待っていると何かアナウンスがあった。私たちの乗る予定の飛行機のことのようだが、よく聞きとれなかった。しばらくして私たちの乗る飛行機のことがモニターに表示された。それによると十三時四十分発の予定が遅れて、十四時三十五分、ほぼ一時間遅れだという。妻は先ほどの放送が気になり内容を訊いてくると言って、近くのカウンターに行こうとしたが、係の人がいない。しばらく待ったが結局直前まで誰も現れずただ座って待つだけという結果になった。十四時過ぎになってようやく搭乗開始となる。座席について間もなく離陸した。私は怖がりで飛行機は離陸の時が不安であったが、疲れていたせいか怖がる余裕もなくいつの間にか水平飛行に移っていた。今度の席のモニターは正常に機能しビデオがきちんと映った。しかし往きで面白そうな映画はあらかた見てしまったので、暇を持て余してしまった。適当に選んで観ていても、いつのまにか寝てしまい途中が分からなくったり、結末を見逃したりしてしまった。それでも巻き戻して見なかったのは、最初から見たいという気持ちが強くなく、単なる暇つぶしだったからだろう。そんな中でも最後まで見てしまった映画があった。それは『Nebraska』という白黒映画で、これも普段ほとんど映画を見ることのない私は何の予備知識もなく、ただ日本語吹き替え版があるというだけの理由で観た。冒頭一人のおじいさんが高速道路を歩いていて保護される、あなたは100万ドル当選しました、というダイレクトメールを信じてその賞金を歩いて貰いに行こうとしていたのであった。もちろんそれは詐欺で家族の者は止めるが、呆けているのか、あるいは頑固なのか、その両方だろうが家族の言う事を聞かないで、何度も家族の目を盗んでは出かけようとしていたのであった。それを知った次男が父親を哀れに思い、とにかくやりたいことをさせてやれば納得するだろうと仕事を休んで父親を車に乗せて、モンタナ州からネブラスカ州まで連れていくという話である。途中までこのおじいさんが呆けているのだろうと思ってみていたので、普通の人なら騙されないような手口で年寄りを騙す業者について憎らしいと思った、最後に目的地のオフィスに着いて中に入って行くと、そこに中年の女の人が一人で仕事をしており、あらほんとに来ちゃったのねといい、それがインチキであることがわかる。息子は父親のような人はよく来るのかと訊くと、年に一人か二人それも年寄りが多いというようなことを話す。そしてせっかく来てくれたのでと言って、帽子をくれる。それでおじいさんもあきらめがつく、最初から詐欺だという事はうすうす気づいていたようだ。何処までも優しい息子は、最後に父親にプレゼントをする。おおむねこんな話である(一度見ただけなので間違ったところがあるかもしれない)私はこの映画を見ているうちにこのおじいさんに腹が立ってきた。家族の者が何度言って聞かせても、いう事を聞かない、息子が母親のことを聞くとやりたかったから結婚した、やったらお前たちができたと言い、体を気遣って酒をやめないのかというと、母さんと結婚すればお前も飲みたくなるだろうと、憎まれ口をたたく。家族のことなどまるで考えずに、どこまでも我儘である。なぜそんなにお金が欲しかったの、と息子が父親に訊くと、おまえたちに何か残してやりたかったんだ、というふうなことを言う。いかにも家族に対する愛から来ているように装っているが、実はいい父親であったと思われたいという自己愛からの行為である。ほんとに家族のためを思うのなら家族の言う事を聞いたほうがよほどましだし、そもそも家族に残すものを宝くじの賞金に頼ろうとする気持ちがいやらしい。何処まで行っても自分ばかりである。そして最後に息子から車を買ってもらい、その車をいかにも自分で買いましたと言うふりをして知り合いに見せつけながら走るというシーンはこのおじいさんの我儘さの現れで醜悪であった。こんな年寄りにはなりたくないと思った。後味の悪い映画であった。

帰りは十二時間ほどで日本に着いた。あっという間の六日間であった。自分一人ではとても海外旅行をする勇気はないので、妻に連れて行ってもらったことを感謝した。絵画については実物が思ったより大きかったことと、ヨーロッパ人は見たいと思えばいつでも本物を見ることができること、街中に彫刻があふれていて、それに自然に触れ合うことができる環境の中で生きていることなど、日本人との差は大きいと思った。



 前にも書いたが、私たちの旅行中日本ではオルセー美術館展が開かれていて、マネの『笛を吹く少年』など八十四点が来ているという事だった。それで帰国した後パリで見ることができなかった作品を見ようという事になり、九月二十七日()に六本木の新国立美術館に行った。


オルセー美術館展

思ったよりたくさんの大きな作品が来ていてよかった。ミレーの『晩鐘』はもっと暗い画面と思い込んでいたが、暖色が使われていて思ったより明るい作品であった。またモネの『草上の昼食』は直前にTVで美の巨人たちをたまたま見たばかりだったので特に印象深かった。しかし言葉の通じない旅先のパリでゆっくりと見たのと、混んでいる日本で見たのではやはり気持ちの上で違いができてしまう。もうすこし間を開けて見に行ったほうが懐かしく感じられたかもしれない。




この美術展にカバネルの『ヴィーナスの誕生』があった。縦130cm横225cmと、ほぼ原寸大と思われるがインパクトはそれ以上である。とにかく大きい。そこに全裸の女性が横たわっている。大変美しい、と共に男を誘っているようで大変官能的である。あと数日で還暦を迎える私であるが、こればかりは死ぬまで治らないのかと思いたくなるように劣情を刺激される。フランスで彫刻や絵画を見た時にも感じたが、いたるところでリアルな女性の裸体にふれあえる環境というものはどんなものだろうと思った。中学生の頃の私だったら、おそらく直視できなかったに違いない。中学生の時美術部に入っていた私は、放課後美術室で、女性の裸体が描かれた画集の小さな写真を見てドキドキしたことがあった。日本ではなかなか美しい女性の裸体画を見ることは難しい。西洋画や彫刻はその裸体がリアルなため劣情ももよおすが、あまり美しく高貴なため劣情を抱いた自分を恥ずかしく思ったりもする。裸体を隠すばかりでは、裸体、あるいは女性そのものについての考えが歪んでしまうような気がする。そういった意味で、美しい彫刻や絵画にふれることのできるヨーロッパが羨ましく感じてしまった。これは意味のない西欧コンプレックスなのだろうか。