円相場と株価…お金の話その1 | カフェ チャルルココ

円相場と株価…お金の話その1

いつの頃からか

ニュースの終わりに円相場と株価を放送するようになった

それを見るたびに

いったいこれらの情報を

どのくらいの人が必要としているのだろうか

と疑問を感じてしまう

普通の人にとっては円相場が数円上下しても

あるいは株価が数百円上下したとしても

ほとんど影響がないだろうし

金融取引に関係している人たちにとっては

TVのニュースで情報を受け取ってから判断するようでは

全く間に合わないだろう




そうだとするとどのような意図があって

これらの情報を報道しているのだろう

株価や為替についての知識を得ることが

人間にとっての常識であるから

教育してやろうとでも思っているのだろうか

どこかの学校だか証券会社だか忘れたが

小学生に株に投資するための授業をしたというような

ニュースを見た記憶がある

しかし考えてみれば

株も為替もそれ自体は何の価値も生み出してはいない

そんなことを積極的に教えることに違和感を覚える

これは宝くじのCM

売り出された時のニュースを見たときに感じる

胡散臭さと同じである




これらの情報を日に何度も見せられて

もしかするとお金を儲けられると勘違いして

株や外貨建て預金に手を出すカモとなる人たちを

増やそうとしているのではないかと勘ぐってしまう




この頃世の中の価値基準が

お金だけになってきているような気がする

スポーツニュースでは

契約金や年俸や獲得賞金が報道される

オリンピックの招致

富士山の世界遺産登録についても

直ぐに経済効果がいくらということが言われるし

原発についても

再稼働しないと電気代が上がるとか

それによって企業の競争力に悪影響が出る

廃炉にすると雇用が失われたりして

地元の経済が打撃を受けるとか

とにかくまず経済面が最優先となる




お金がすべてという価値観をマスコミは流し続け

見ている人々もそれに洗脳されているように見えるのはなぜだろう




子供の頃金儲けの話をすることは

恥ずかしいという雰囲気があった

宵越しの銭は持たない

成り金

守銭奴

吝嗇

お金持ちを揶揄する沢山の言葉があり

子供の間でも金持ちの子供が

物で関心を引こうとすると

却って馬鹿にされたり

嫌われるということがあった

本音ではお金が欲しいという気持ちはあっただろうが

やせ我慢して建前を貫こうとする

それが大人だった




生きていく上でお金が必要だというのは

間違いない

だから最低賃金や生活保護などの制度がある

充分なお金があれば

食事に医療子供の教育そして娯楽など

かなりの必要や欲望を満たすことができそうだ

けれどそれは都会に住んでいることを前提としている

都会では生鮮食料品も日用品も

お金さえ出せば簡単に手に入る

けれどそれは物流が整備されていて

田舎で都会に出荷するための農業を営む人たちによって

支えられているのである

何らかの事故により

物流が滞ったり

天候不順などにより凶作になった場合に

出荷しないと決めれば手に入らないのである

普段はお金さえあれば何でもできる気がするが

実は危ういもろさも孕んでいるのである

それなのになぜお金万能という価値観を

人々抱くようになってしまったのだろか




つづく