幸せにしかなれない国にしよう ② | ゴータ・ワイのブログ

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民主主義といいながら主権者国民に決定権も拒否権も無い
イカサマ政治システムを変えて
「幸せにしかなれない国にしよう」というスローガンで
発信をしておりますゴータ・ワイと申します。

<幸せにしかなれない国にしよう ②>

諸悪の根源メディアの情報操作で、この国と国民は滅ぼうとしている。政権を取ってメディアを解体しよう!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この記事ではメディアの情報操作とその対策についてお話します。

 

 

【諸悪の根源メディアの情報操作】

それでは、この国を崩壊寸前に追い込んでいるもう一つの原因、「メディアの情報操作」についてお話します。

 

先にも少し触れましたが、メディアはスポンサー企業の指示に従い、また、互恵関係にある政治家や官僚に忖度し、例えば、健康問題や老後の問題、雇用の不安などは、政治問題ではなく社会そのものが創り出している社会問題のように思わせて、自己責任で個人が努力や備えをするしか無いと諦めさせています。

 

人々は毎日の生活に追われて疲れ果て、深く考えることもなく、一日の終わりにテレビやゲームなどのささやかな娯楽や酒で気を紛らわせ、メディアが真実を伝えないせいで国民は思考停止状態に陥り、国と共に沈もうとしていることなど知る由もありません。

 

メディアの情報操作は絶妙かつ絶大で、政治や政治家の腐敗だけでなく、あろうことか、司法や警察までもが必ずしも国民側でないことに気付かせないようにしています。既得権益者に不利益なことは一切報道も追求もしないのです。

 

選挙から政策、経済、教育、医療、環境問題・・・すべて都合よく情報を操作しています。

 

ある時は、事実を伝えなかったり、伝えても錯覚するように仕向けたり、国民に都合の悪い法律を作る時は、スポーツやお笑い、芸能人のゴシップなどを熱心に放映し、真実から目を逸らせ、疑問すら持たせないようにしているふしがあります。

 

そもそも、情報というものは、私たちが考えているよりも強大な力を持っています。現代においては軍事力よりも強大だといえます。

太平洋戦争で300万人以上もの命を失ったのは、終戦直前まで「大本営発表」という政府の報道で、日本は神風が吹いて最後はかならず勝つというような印象操作を繰り返し、最後まで国が崩壊する寸前だという事実を隠蔽したからです。

多くの若者が命を失い、多くの国民が家族や財産を失ったのは、政府やメディアの情報操作の結果です。

 

また、戦時中はアメリカやイギリスを「鬼畜米英」と憎しみを煽り、特攻隊のような無謀な戦法も厭わない国民にしたのは軍部主導の情報操作の結果です。

 

さらに戦争が終われば、アメリカから入って来たテレビや映画を流して、「こんなに豊かで、ゆとりのある国と戦争したのが間違いだった」と国民の「敵意」を「憧れ」にすり替えたのは、米国占領軍の報道統制という情報操作のたまものです。

 

そして、民主主義というものが、実は大衆を支配するための道具で、良くも悪くも全ては国民が選んだ結果で、政府や政治家は国のため、国民のために最大限努力していると錯覚させているのは、情報操作の最大の成果だと言えましょう。

 

この国がここまで危機的な状況になった大きな原因はメディアの情報操作で、これこそ諸悪の根源です。

 

今自分たちがどういう状態で、どこに向かい、どこに行き着くのかも解からず、また、政治家が誰のために何をしようとしているのかも解からず、正しい判断が出来る訳がありません。

 

 

 ○メディアの情報操作は簡単には止められない

一刻も早く、メディアの情報操作を止めさせなければ、日本は完全に沈んでしまう。

ところが、メディアの情報操作は、簡単に止めることが出来ません。

 

メディアはNHKを除いて営利目的の民間企業で、スポンサーのために視聴者にいかに物を買わせるかという目的で動いていて、1円の視聴料も払っていない国民のために放送しているのではないのです。

 

多くの人々が情報源にしているニュースや報道番組さえも、視聴率を取るための娯楽番組の一つに過ぎず、スポンサーの都合で作られている情報操作番組です。

 

しかもメディアは言論の自由という都合の良い法律に守られおり、簡単には規制出来ません。

そもそも、言論の自由などというのは、国家権力が国民の言論を押さえつけないようにするための法律です。ところが、今やメディア自体が最大の権力者と言っても過言ではなく、メディアこそ厳しく管理しなければならない時代なのです。

 

メディアの情報操作を止めさせるには、政権を取って法律や制度を変えるしか無いのですが、悪いことにメディアと政府は完全な互恵関係、つまり利益を分け合う関係にあり、しかも最初に述べたように、政治システムが間違っているので、政権交代など程遠い状態になっています。

 

 

【政権交代して根本改革する】

こんな状況で果たして政権交代など出来るのでしょうか?

これから、日本の根本改革の為に、どのように政権交代するかについてお話します。

 

まず、ここで、政権交代を担うはずの野党について考えて見ましょう。

皆さんは錯覚しています。そもそも、野党や無所属議員の多くは、労働組合や宗教団体などの支援を受けていたり、特権階級になりたいだけの政治家だったりするのです。

全員とは言わないまでも、彼らの多くは既得権益者なのです。一般国民以外の誰かの支援を受けて国会議員になっているとしたら、国民全てのために働いているのではないというのは解りますね。

だから野党や無所属議員も多くは与党と同じで、本気で日本を変えようとは思っておらず、当てには出来ません。

 

 

 ○直接民主制による国民政治を実現する

そこで、僕は、このような状況でも、日本を変えたいと思っている人たちが政権を取るために集まれる方法を考えて見ました。

 

それは、政策を直接国民から集め、直接国民が決める

「直接民主制による国民政治を実現する」

という単一目標で結集するのです。

 

このスローガンで結集し政権交代を目指してはどうでしょうか?

これは、自分たちの命や財産を誰にも委ねず、自分たちの手で政府をコントロールし、国民のための政治を実現するということです。

 

ここでこの図を見て欲しいのです。日本に限ったことでは無いと思いますが、この国の現状は政府が既得権益者と癒着して、国民の上に位置して国民を支配していますが、それを国民を最上位に置き、政府をコントロール出来るように改革するのです。

 


 

 

 

民主主義といえばあたかも自分達が「主体」のように思わせる耳に心地よい言葉ですが、国民には肝心の決定権は何一つ無く、主体はいつも政治家や官僚、企業家などの既得権益者でした。

国民はおとなしく働いて税金を収めるだけの彼らの「家畜」に過ぎないのです。

 

もう、議員に全てを任せる政治はやめにしましょう。

 

政権を取る為のスローガン「直接民主制による国民政治を実現する」は、本気で国民の幸せを願う政治家や政党なら、共通の目標になるし、政策は国民が決めるので、選挙前に主義主張や政策の違いで争う必要がなくなるから結集しやすいと思います。

 

国民が直接意見を出して、国民が政策を決める政治がいいのか

今まで通りに命や財産、未来などすべて政治家に任せる政治がいいのか

を国民に決めてもらいましょう。

 

直接民主制なんかにして、船頭多くして船進まずだの、愚かな国民に政治を任せたら国が潰れるだの、無茶苦茶になるだのというのは、既得権益者の常套句で、それこそいつまでも国民を支配し続けるための誘導、洗脳です。 もう十分、無茶苦茶になっているし、狂った政府のために今や国民生活は崩壊しかけているのではないでしょうか?

 

仮に国民に任せて無茶苦茶になったとしても、他人に命や財産、未来までも無茶苦茶にされるよりは、自分たちで決めたことでうまく行かないほうが遥かにましで、うまく行かなければ意見を出し合って改良すればいいだけの話です。

 

それに、人間というものはそれほど愚かとは思いません。

情報操作をされて、意図的に愚かにされているだけなのです。

その上、選べる政治家がイカサマ師やペテン師ばかりで、今の制度では選んでも選ばなくても殆ど変わらないので、諦めているというか無関心になっているのです。

メディアの情報操作を止めさせ、正しい情報さえ行き渡れば、国が潰れるほども無茶苦茶な判断をするとは思えません。

 

また、直接民主制は国民が政策を決めるので、利権や忖度を絡めることが出来なくなり、この目標・スローガンは、利権や特権を手にしたいだけの偽善政治家を見抜く、良い「リトマス試験紙」にもなります。国のためとか国民のためとか口先だけで嘘をついている偽善政治家は絶対賛成出来ないでしょう。利権や特権を手に出来なければ、彼らにとっては政治家をする意味が無いでしょう。

 

繰り返し言いますが、国民政治が決して行われない理由は、悪徳政治家やメディアの情報操作のせいも有りますが、代議員制民主主義という国民が主体のように見せかけて、肝心の決定権を何も持たせていない「インチキ政治制度」がベースだからです。

 

既得権益者がメディアを使って一番気付かせないようにしているのが、このとても民主主義とは言えない「代議員制民主主義」という政治システムの致命的な欠陥です。

 

こんな子供だましに人類は百年以上も命や財産や未来を失って来たのです。

 

この国民が政策を決定することも、間違った政策を止めることも出来ない代議員制民主主義が続く限り、いつも政治の腐敗や暴走が付いてまわります。

 

もう、政治家の道徳心や正義感などに任せる政治を止めて、根本的に悪いことが出来ない政治制度にするべき時なのでは無いでしょうか。

 

 

○国家とは形のないもの

話は少し変わりますが、そもそも国というのはそこに住む人々の集まりに過ぎず、形のないものですよね。

解りやすく言うと「着包み」のようなもので、それを政治家や官僚や企業家などの既得権益者は、事あるごとに「国のため」とか「国が決めた」とか、まるで国が人格や意思を持っていて、自分達にはどうしようも無いと言わんばかりに振る舞うのです。

そして、ちゃっかり国家という「着包み」の中に入って、この国の税金や制度、法律、そして何よりも国民を自分達に都合よく利用しているのです。

くまモンやふなっしーをいつしか実在するキャラクターと錯覚してしまう様に、私達も「国のため」とか「国が決めた」と言われると仕方ないと思いこんでいませんか?

 

騙されては行けません。国家というものが人の集まりとするなら、その大半は私たち一般国民なので、国=私たちとなる筈です。ということは、「国のため」というと「私たちのため」となるはずですね。どうですか?そうなっていると思いますか?

実際は「国のため」ではなく「株主にため」或いは「企業のため」となっていませんか?

 

国という着包みの中に入っているのが政治家や官僚、企業家などの既得権益者で、私達一般国民のことを「税金を払う家畜」の様に扱い、最低限の餌と水とささやかな娯楽を与えて、ずっと搾取しようとしているのに、彼らに良くしてもらおうなどと思うのは、とんだお門違いというものです。

これまで国民にして来た政治を考えて見ますと、悲しく辛いことですがこれが現実だと言わざるを得ません。

 

今回の記事はここまでとします。

次の記事では、いよいよ、僕の考えたこの国を良くするためにの具体的な方法についてお話しします。

続いて「幸せにしかなれない国にしよう③」を御覧ください。