私が徳川慶喜家を継ぐ事が決まった一瞬というのは


12年前の暮れにありました。


自宅にいたとき

叔父からの電話で


ガンになったと。。。


私は名古屋に住んでいますが、その時


叔父の住んでいる茨城との往復を心に決めました。


きっと他の親族に


叔父がガンになった


と、伝えても無関心だったのではないかと思っています。


実際、、皆知っていても

自発的にお見舞いに来てくれた人は

親族では誰もいませんでしたし


誰も、叔父の立場になって寄り添う事はしませんでした。


いつも思うのです。


みんな責任ばかり押し付けて

誰も叔父を助けてあげなかった。


例えば

当主なら、きちんと会合に顔を出すべきだ


という意見もありました。


でも叔父はカメラマンという決して収入が多くない職業で


生活もいっぱいいっぱい。


その会合に参加する電車賃よりも

生活費に回したい。


という事は、誰も理解しませんでした。


叔父はお金くれたら行くよ。


って答えていましたが、親族はそれさえもバカにして


あいつはガメツイ


とか


金がねぇんだよ。


と蔑むだけ。


叔父の家にあった書きかけの手紙で


もう捨てましたが、とあるお役所への手紙がありました。


徳川家の資料を借りたい

撮影もお願いしたい


しかしこちらも予算がないので格安でやって欲しい。


と叔父に依頼した担当者への

怒りのお手紙でした。


失礼にも程があると。


他の業者などには、きちんと仕事に対して

支払われるのに、自分にはそうやって

値切り、ただ働きのような事を求めてくるのか?


と。。。


叔父を軽んじ、歴史の横取りのように感じます。


結局、そのお手紙は出さなかったのだと思いますが


私もそれは叔父に対して失礼な話だと思いましたし


これまでもそうやって叔父に対する責任の尊重や価値観よりも

自分の都合を叔父に押し付けてきた人が

多くいたのだと思います。


実際の叔父は、とても親切な人で


私が訪ねる時は、どんなに体調が悪くても

駅まで迎えに来てくれて


晩御飯まで作ってあったりする程でした。


今思い出しても泣ける😢😢😢


叔父が私を全面的に頼っていたのは


それを理解してくれる唯一の親族だったからなのだと思います。


正直なところ

叔父はそんなに立派な風貌でもないですし


みんなが考える将軍っぽい、徳川っぽい威厳のある佇まいでもありませんでした。


たとえて言うならば


漫画家の蛭子さんのような感じ。


蛭子さん、いつもニコニコとしていて、お優しい感じ。

怒る姿を一度も見た事がなく

そして優しい漫画を描かれるステキな人。


しかし周りが期待する、徳川慶喜家当主とは

イメージがかけ離れている感じ。


叔父がポロリと一言


ボクだって好きでこんな風貌で徳川家に生まれた訳じゃないから


ボクを見てガッカリする眼差しで傷つく事もあるんだよね。


私は黙ってそれを聞くしかありませんでした。


叔父が徳川家に生まれて来なかったら、幸せに思う事も多かったのではないかと、考えたりもします。


気の毒に思う事も多かったです。


叔父に自分の都合で勝手に期待して、

裏切られたと思う人たちの

あまりの多さよ。


私がイギリスで長く過ごした事の大きな学びは


人それぞれの人生があり

それぞれの価値観があり


お互いに(ここ重要!)尊重するコトにより


良い人間関係を構築できる事。


叔父は、全ての事を私に託しました。


叔父がつ一つの試練を乗り越えた末に

私を信頼して


全ての財産を私に遺す


という遺言書が存在します。


徳川家の財産というのは


お金よりも


徳川家を継ぐ権利(祭祀継承権)や

お墓の権利

徳川慶喜家に伝わる膨大な資料の管理


という事があまりにも大きく


膨大な財産🟰大金持ち

と間違われやすいです。


現代では

それだけお金のチカラが大きくなっていったのだと思いますが


お金は

物事を実現する為のツールに過ぎません。


そのツールを手に入れたい人があまりにも多く

目的がお金になってしまっている人を

多く見かけます。


実際、私もそうゆう時もありました。


若い時ですが。


しかし、どこかのクレジットカードの宣伝文句ではありませんが


お金で買えない価値がある。


目に見えない事


例えば


信頼だったり

愛情だったり


を伝えるのって、とても難しく

それは


一つ一つの行動によって、培われる物であり

一瞬で崩れる危険性も伴っています。


その構築には、長い時間、多くの言動から生まれたくるものだと思います。


ホント、叔父の価値観、叔父の遺言を

尊重して欲しいと願っているのです。


自分からはとても言いにくいのですが


最後の最後まで責任を持って面倒を見てきましたし


遺言で叔父が私に託したので


徳川慶喜家の事に関しては


遺言通りに、そして


私に配慮して欲しいと願っています。






サザコーヒーの

鈴木御一家は


本当に叔父の事を心配して、病院にコーヒー送ってくれたり


私に様子見の連絡くださったり


みんなが叔父の事を色々気にかけてくれました。


今も感謝の気持ちでいっぱいです。


この時から


親族よりも他人


という現象もあり


子供のいない私にとっては


自分の終活

最後は他人なのかなと思ったりします。


社会現象でもありますね。


それを憂いているのではなく


周りに感謝する事って大事だと思っています☺️