今年の大きな予定だった


①オーケストラ・コンチェルタンテの演奏会


②日本医工学治療学会での講演


③予科練戦没者慰霊祭


が無事終了し


ほっとした所です。


人との関わりを強く感じたこの数日でしたし

時代や歳を超えて繋がる心も感じていたりします。


コンチェルタンテの演奏会では

創立記念演奏会でソリストだった、中瀬智哉くんから激励のお手紙と差し入れが小包で届き


ずっと忘れないでいてくれる事に嬉しくて

思わず涙してしまいました。


年齢が40歳近く違うのに。

彼の人間性にいつも感動します。


私が18歳の時なんて、自分の事しか考えていなかったですよ!!!


彼の素晴らしいピアノが、これからももっともっと広がりますように!!


また、会場には沢山の応援企業様から

いっぱいのお花をいただきました!








神戸から

前回ソリストだった村上真璃南ちゃんも来てくれたり


廣岡ののこちゃんからはお花をいただいたり


沢山のお客様がお越しくださり


我がオーケストラは本当に幸せなオーケストラだと思います。


素晴らしいソリストをお迎えし


感動の渦となった演奏会となりました。


無名のお客様から、非常に嬉しいお手紙も頂戴しました。


次回は来年3月23日

中部国際空港 セントレアにて

開港20周年記念演奏会です。






打ち上げも大いに盛り上がりました!!



そして翌週は


1年前より依頼されていた、医学会での講演会


非常に緊張して迎えました。


日本全国の大病院の教授の先生がたをはじめとする医療関係者の前での講演


どんなテーマでと考えた挙句


徳川慶喜とその家族

子孫が向き合った命

〜徳川慶喜の本懐を未来につなぐ〜


という題材で講演してきました。


講演の前日には

学会長による


会長招宴が催され





翌日、朝の講演



著名な先生がたを前に

先生

と書かれた垂れ幕

記念に持って帰りたいくらい😂😂😂

学会から感謝状もいただき

日本の大学を出ていない、
センター試験(共通一次?)さえも受けていない私にとって

感慨深かったです。

そして最終の新幹線で土浦に行き

第57回予科練戦没者慰霊祭に参列して参りました。


浮月楼においての講演でのご縁がつながり


お声がけいただきました。


今年は戦後79年


57回という事は、22年間は公に慰霊祭を行える状況ではなかったのだと思います。


高松宮殿下が、非常に心を砕き

妃殿下もそれに倣い、心を寄せておられました。


妃殿下が若くして亡くなった予科練戦没者を思い

40首ほど詠まれた中


海はらに はたおほ空に 散華せし

君ら声なく 幾春やへし


慰霊碑に刻まれ、今も慰霊祭では

会のはじめに歌われています。


また、祭では


翌日に出陣を迎えた青年が、親に宛てた遺書が

読み上げられ


思わず涙がこぼれました。


感謝と早くに死ぬ事への謝罪を込めた手紙

妹、弟に宛てた、親を助けるように

大切にするように

自分の分まで頑張るようにと。


そういった心が今の日本の心にも繋がっていると思います。


特に私は歌を習った訳ではありませんが


妃殿下が詠まれた歌のつづきとして


幾とせの 海を越えても 涙せし

君ら声きく 心ありけり


今も若くして散った若者の遺志を

繋いでゆきたいと思いました。








楽しいばかりが人生ではないですし


様々な困難がありとも


感謝と敬意を持って、これからも

自分の役割を務めたいと思っています。