浮月楼とのお付き合いは


叔父が亡くなった時に、その存在を教えていただき

初めて伺った時から続いております。


静岡駅にほど近い、駅前の喧騒とは一線を画した一角に


大きな門構えの料亭があります。


徳川慶喜が20年住んでいた屋敷が今は

料亭と結婚式場として今もその佇まいを残しています。






浮月楼社長と徳川慶朝は大変仲良くしていました。


その縁で、2人が亡くなった後も、

お付き合いを引き継いでおります。


遺産というのは、金品だけでなく

こういったご縁も大きな財産であると思います。


サザコーヒーとのお付き合いも然り。


叔父はとても良い方々に囲まれていたと

思います。


去年のある日、浮月楼に行った時

社長の耕平さんが


今度、コシノジュンコ先生のイベントがあるのですが

美喜さんがお持ちの品の出展をお願い出来ますか?


とのお話を頂戴いたしました。


私の家にあるものでなら。。。

と、協力させていただくのはもちろんですが


10年来のお付き合いがある

コシノジュンコ先生とのコラボとは

非常に光栄な事です。


さて、どんな品を出そうか、迷いました。


人生初めての展示です。


私の心の宝である


振袖はもちろんの事、


徳川家の喪服、嫁入り道具の茶器


徳川の盃など。。。


また、母からいただいた宝石も展示しました。






資料の前で少しご説明させていただきました。




徳川家から皇族にお上りになられた

高松宮妃喜久子殿下の遺品も少し、

展示。


昨今、家を背負う


という習慣が面倒に思われ、

薄れつつありますが


そういった時代の象徴とも思える品々の展示と

させていただきました。


何が嬉しかったかと言いますと


コシノジュンコ先生が

私が背負った歴史を瞬時に見抜き

埋もれてはいけない


と、ご配慮くださった事です。


ここで、何が共通するかというと


人のためだったり、家のために尽くす文化。


またそれに感謝する心


自己利益の為でなく

こうあるべきではないか?


という、信念です。


その信念は、物事を大切にする心から生まれ

今回はその愛情があるれる一日でした。


オープニングイベントとして


慶喜が大変好きだった

小笠原流の弓道のパフォーマンスや

居合

観世流能の舞(コシノジュンコデザインの衣装〜革製)

などがあり


非常に素晴らしかったです。




お料理も


徳川慶喜が食べた食事のメニューを参考に


浮月楼の藤村料理長が

初めてのオープンキッチンで


素晴らしい料理を振る舞ってくださいました。









左にある

短冊は


なんとメニュー!!!


コシノジュンコさんが書いてくださいました。


それぞれの文字に起因したお料理で、感動しました。


浮月楼に行く事を冗談で、


実家に帰る。。。


みたいな言い方をしたりしていますが(図々しくてすみません)


浮月楼との交流は、本当にいつも有り難く思っています。


当日は、静岡の方々や、東京、名古屋からも

駆けつけてくださり


会は非常に盛り上がりました。


3年ほど前に仕立てた

ジュンコ先生が作ってくださったワンピースに

久しぶりに袖を通す機会で

私もワクワク☺️


前日までは


ジーンズ姿で

キャプション作ったり

毛氈(もうせん〜資料の下にひく絨毯みたいなの)を

展示棚のサイズにあわせて切ったり


と、展示作業をしていましたが

みなさまに見てもらうべく、いろいろと考えるのは

楽しい作業でした。




2月13日まで、浮月楼でランチをすると

見せてもらえるそうです。



12日、13日は

私の説明つき、ランチツアーがありますので

ご興味ある方はぜひ!!






また、将軍米プロジェクトがスタートしました。


これはまた、非常に深いお話なので

別投稿でお話したいと思います。





昨日の朝は

このイベントが出来る事を感謝を込めて

久能山東照宮にお参りして来ました。


初めて下から階段で一段一段登って行きました。






家康公が亡くなった時を想像しながら

時代の流れを感じつつ。


また、こうして大切に守っておられる東照宮の

方々に感謝と敬意を込めて。


宗教とか難しい話ではなくて、先ずは

先人に感謝し、祈る事


というのを大切に思っています。