学生時代の歴史の授業では、当然のごとく


徳川慶喜

大政奉還

明治維新


が出てきますが


子孫的には


ふぅーーーん。


ぐらいなモンです(⌒-⌒; )


徳川は、母の旧姓なので


私は徳川姓を名乗った事がありません。


なので、徳川の子孫という事は

自分で名乗らない限り、ほぼ知られる事は

ありませんでした。


先生も同級生も

知りませんでした。


また家での教えでは、外で

徳川の話を他でする事は

タブーとされていました。


。。。隠れキリシタンみたい💦


というのは、徳川の事を口に出すと

嫌な事が多いのです。


信じてもらえない。

ニセモノ、嘘つき扱いされる。


何自慢してるんだ?


と、妬みやイジメの対象になる。


また埋蔵金のありか教えろ


とか


家にあるもの持ってこい


とか。。。


それは、祖父の時代にもあったようで

随分と借金のカタに取られたようです。


それでも、大切に思っている心は

親族の皆にありました。


どんな時でも

ご先祖さまを敬い、感謝の気持ちを常に持ち


自分たちの今があるのは

ご先祖さまのお陰。


と。。。


大切にしてなるからこそ、外では

徳川家の事を語らずにいました。


興味本位で聞いてくる人には

どこまで話して良いのか迷うトコロはあります。


研究者と話していると、ハナシが噛み合わない時もあります。


祖母の写真で

ミカンを食べているモノがあるのですが


和子さまがミカン食べてる写真もあるんですよ!


と、喜んで教えてくれたのですが私的には


???

おばあちゃまだって、ミカンぐらい食べるわさ。


って思っていました。


後で気づいたのですが


私たちの日常の向こうに歴史があり


学芸員は、文献からでしか見る事の出来ない

そこから想像する歴史なのだと。


入り口は反対ですが、同じ歴史を向き合っています。


とても大切なことは

その家の歴史に向き合うならば

家の人たちとの信頼関係が非常に重要になります。


ところが、子孫と良好な関係を結ぶ事を忘れてしまう人たちがいて


もしくは子孫と向き合うのが面倒なので、

自分の自由に進めたいと思う人たち。


子孫は、


そんな人たちには

家の歴史を触られたくない。

プライバシーを守りたい。


と、思うものです。


そういった人たちの事を私は


歴史の泥棒


と呼んでいます。


家のプライドを守るべく、

信頼できない人に家の歴史を触られるくらいならば、資料を捨てる


とまで思う気持ちも分からなくはないのです。


実際に資料を捨てた親族も知っていますし

捨てようとしている子孫たちもいます。


極端なハナシとすると

資料を役立てて欲しい


と譲っても、売却され私腹の肥やしに使われたり

その人の自慢のネタにされても


資料は決して活きません。


また、


親族の写真を勝手に公開されたり

家のプライバシーの境界がわからず、


全てが資料だから

と、配慮がなされないと


不快に思います。


実際、徳川家に関わらず、そう思っておられる子孫は沢山います。


私の場合では、

お墓を閉じる


という、非常にデリケートな問題に向き合っている場面で

親族など、関係者と調整を進めている最中に


お墓に関する資料を了解なく公開された事がありました。


歴史館に抗議もしましたが、

図録への掲載などもされてしまい


また他の親族への了解もなく、

親戚の結婚式の写真も公開され

その息子さんは、非常に憤慨していました。


謝罪すらないままです。


自分の親の結婚式の写真を勝手に公開されたら

そりゃ気分が悪いと思います。


せめて、


お母様の写真を今度公開するので、

宜しいでしょうか?


と、お伺いは立てるべきと思うのです。


そしたら

そうなのですね。


ご連絡ありがとうございます。

見に伺わせていただきます。


と、ハッピーに繋がると思います。


またその向こうには、周りのひとたちに

母の写真が公開されるそうなので、

見に行きませんか?


広がってゆくものです。


勝手にされてしまうと、そりゃ気分悪くなりますよね。


親族と同じような信頼関係は、血縁関係にない人たちとはなかなか結べません。


その為には配慮が必要です。


その繰り返しが信頼関係につながると思っています。


だから、どの博物館でも配慮が必要なので、子孫がまだ生きている近代日本史がなかなか、取り上げづらいトコロはあります。


徳川家康ぐらいになると、完全に日本の歴史なので、とやかく言う人はいませんが。


近代史はまだ生きた歴史です。

それは第二次世界大戦も同じ。


まだ生きている人がいる


という事はとても貴重で、生きた言葉を残す事は大切に思うのです。


渋沢栄一資料館にお邪魔した時


祖父や祖父のお姉様、妹たちの8ミリフィルムが公開されていました。


祖父がまだ学生の頃の動画なんて、ちょっと驚きました。


同時に懐かしく


また生きていた姿


というのは、少し涙が出てしまいます。


私が死んだら、その8ミリを見て、涙する人はいなくなるでしょう。


今まで、渋谷栄一さまの関係者とはお会いした事がありませんが、


いつかお会いしたいと思っています。


感謝の気持ちをお伝えしたいですし

また実際のお話を伺ってみたいとも思います。


渋沢栄一記念館とももちろん良好な関係を結びたいといつも願っています。


時々、招待状が送ってくださり

でもスケジュールが合わずで伺えなかったりしますが、嬉しく、有り難く思っています。


歴史は資料の向こう、教科書の向こうにあるもの

という一般的な歴史と


子孫が抱えた歴史


というのは二つあると思っています。


と、おっしゃったのは

紀州徳川家のご当主 宣子(ことこ)様でした。


その言葉は非常に私の心に響きました。


歴史が一人歩きしてゆくと、本当にそれが正しい物なのか、誰も判断できず


想像から生まれた、間違った歴史が蔓延る事にもなりかねません。


実際、徳川慶喜と妻の美賀子の間には子がなく

仲が悪かった


というような歴史が伝わっていて、本当は違うのに、子孫は風評被害に耐えていたりします。


何故にそんな間違った歴史が伝わるかというと、多角的な目線で判断がなされていないからだと思います。


明智光秀様のご子孫も、

大河ドラマ麒麟がくる


が放映されるまで、随分とお辛い事もお有りだったのでは?と、思います。


この情報化社会です。

研究される方と、親族の事情という大きな溝をなるべく埋めるように、努めてきたつもりですが


結局、歴史は歴史

家の事は家の事


として境界を引かれてしまうことも多く


建設的ではないと感じています。


同じ歴史に向き合っているのですから


お互いの立場に配慮したり、家庭の事情を鑑みたり

運営の情報を共有して


お互い歩み寄り、歴史は作られていくものと考えます。


徳川の名は、客寄せパンダではありません。


もっと深く、愛情が詰まった家族です。

そういった事を知っていただきたいと願っています。


歴史に魂を込める。


そんな新しい観点で歴史構築の一端になればと願っています。


徳川家のお墓参り

徳川慶光 和子

安喜子 兄 美喜

祖父に肩に手を置かれて、恥ずかしかった記憶があります。


撮影は徳川慶朝 昭和50年代



左より

徳川慶朝 徳川和子 山岸美喜 30年ほど前


右より

井手純さま 徳川文武さま 山岸美喜 3年ほど前