4月、叔父の入院治療が始まりました。


毎日の放射線に抗がん剤の投与


抗がん剤は


シスプラチン と 5FU


プラチナ系の抗がん剤は副作用キツイらしく、副作用を抑えるべく、その薬も処方されていましたが、腎臓の負担が大きいので、とにかく水分を取ることも大事。


しかし、放射線で喉の中はヤケド状態で、ひと口水を口に入れるだけでも飛び上がるほど痛くて


飲み込む時は決死の勇気!!!


皮膚の表面も、見ているだけでも痛々しかったです。


でも本人曰く、


表面は全然痛くないんだよ。


だって。。。びっくり


水を飲むのもそれだけ辛いので


食べ物を口にするなんてとてもじゃなくて


胃ろう


と言って、鼻からチューブで食べ物を入れる事になりました。


抗がん剤点滴ぶら下げて


喉は赤くなりつつなる頃


毎週、私が名古屋から来てもらえるのが、嬉しく思ってくれていたみたいで


優しい笑顔☺️


病院にいられない時は


毎日、連絡を取り合っていました。✉️


また、こんなに長く一緒に居たことはなかったのですが


その間、本当に色んな事をお話しをしました。


徳川家の事、親族の事


高松宮家への感謝の気持ちや


そして病気のこれからの事


毎週、病院に通うのは本当に大変でした。


しかも叔父は念願の


トヨタ86


という真っ赤なスポーツカーを買ったばかり。


せめてその車眺めたいと


名古屋から


茨城県ひたちなか市の叔父の家に行って


叔父の車に乗って


50キロ離れた筑波まで運転


病室から見える所に車を駐車して。。。


という1日がかりでの移動からの


2泊3日の毎週の付き添いでした。


名古屋から直接病院に行った方が


近いのですが


それでも命を懸けて頑張っているので


なるべく叔父の希望通りに。。。


とやってきたつもりです。


だんだんと痩せてゆく叔父の姿は


哀しいものがありました。


外泊が許されて


連れて帰った時


友部のサービスエリアでソフトクリームを買い


食べてみたら、放射線副作用で味覚も失われて


ひと口食べて


味がしない


って言って捨ててしまいましたショボーン


食通の叔父にとって、味覚がなくなる事は


本当に悲しかっただろうな。。。えーん