• 28 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 7

      6月25日現在、南三陸町の水道復旧率は7%にとどまっている。 「川で洗濯」のニュースを見た企業からホテルに、海水を淡水に変える巨大な濾過装置2台が提供された。このおかげで1日130トンの水が使えるようになり、風呂も入れるようになった。 それでも十分ではないので、仙台市の主婦たちの洗濯ボランティアが支援している。ホテル従業員が避難者の洗濯物を週2回仙台まで運び、洗濯してもらった物を持ち帰るというシステムだ。みな志津川には思い入れがあり、助けようとしている。幸いホテルの建物には大きな損傷はない。インフラさえ整えば必ず元通り営業するだろう。また志津川の花火が見たい。またテラスでかもめに会いたい。最近評定河原で、かもめのような鳥の声を聞く。もしかしたら津波でねぐらを失くしたかもめが、はるばる移住してきたのかもしれない。かもめは陸で暮らせるものだろうか。 志津川湾の朝。 この鏡のように凪いだ海が、真っ黒な水の壁になって襲いかかったとは、どうしても信じられない。 にほんブログ村

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  • 26 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 6

      ホテル観洋では今も500人が避難生活を送っている。先日、報道ステーションが同ホテルの現状を伝えていた。 水道をひねっても水は一滴も出ない。  1日に300トンの水が必要だが、給水車で運び込めるのは80トンだけ。入浴は週2回。トイレは屋外の仮設トイレを使う。食器、衣類は川で洗っている。雨が降ると川が濁って洗濯ができない。隣町のコインランドリーは20km離れている。 「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に」の時代に戻ってしまった。 にほんブログ村

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  • 24 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 5

       4月16日からホテル観洋に電気が通った。4月23日、震災後43日ぶりにレストランの営業を再開した。 地元海産物の仕入れができず、断水も続いているため、時間とメニューを限っての営業だ。阿部さんは 「小規模でも商売を再開することで、町復興のきっかけをつくり、人口流出を止めたい」 と考えている。再開したのはレストラン「海(かい)フードBBQ」。カレーやスパゲティ、豚汁やおにぎりなど。8品を、250円~1050円で提供している。お見舞いや復興支援で町を訪れた人を当て込んでいたが、避難所に身を寄せる地元の人も息抜きに立ち寄っている。営業時間は午前11時~午後3時。水道は現在も回復していないため、給水車から水を運んでいる。水の使用量を抑えるため、料理は紙皿などでの提供となる。 新聞社の記者、工事関係者、NPO団体などが泊まっているが、一般の宿泊者は断っている。 にほんブログ村

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  • 22 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 4

      以下は河北新報記事による。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホテル観洋の女将は阿部憲子さんという。津波発生後、ホテルには宿泊客と従業員、住民ら、約350人が避難していた。津波で会議室や浴場がある1、2階が被災した。3階以上の客室は無傷だったが、目の前の国道45号は寸断され、完全な孤立状態だった。阿部さんは、これは長期戦になると判断し、来てくれた宿泊客の安全を守ろうと覚悟を決めた。すぐさま調理場で食材の在庫を確かめ、1週間分の献立を考えた。スタッフの食事は少なめにし、避難住民と宿泊客には温かい食事も提供しようと考えた。ときは3月。夜はまだ震えるように寒い。高台にあるホテルの託児所から、ありったけの毛布や布団を運び込んだ。夕方到着するはずだった首都圏からのツアー客23人は、隣の津山町で地震に遭った。彼らが道の駅、「もくもくハウス」に避難していることを知った阿部さんは、そこに従業員を派遣。現地で炊き出しをした。 水道も電気も止まった中、阿部さんは宿泊客を懸命に世話し、3月16日までに、全ての客を無事送り出した 。 「復興したら、必ず泊まりに来ます。大変な中、本当にありがたかった」ツアー客たちは従業員にメッセージを託して帰路に着いた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 震災直後は阿部さんの家族も安否不明だったが、自身のことは一切封印し、泣かないと決めた。私が泣いたら従業員はついてこない。お客様を守れない。そう考えたそうだ。こんな女将がいるなら、震災があっても安心だ。私もまた必ず志津川に行こうと思う。 にほんブログ村

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  • 20 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 3

      この写真は1989年7月29日、観洋に泊まった翌朝、Eさんに撮ってもらった写真である。Eさんは志津川の生まれで、結婚して閖上に住んでいた。今回の津波で、Eさんは志津川の実家と閖上の家を失い、下増田の避難所にいると聞いた。生まれた町も、嫁ぎ先の町も、同時に津波に飲まれるとは、なんという不運だろう。 Eさんのお兄さんは当時、ホテル観洋に勤めていた (多分今も)。花火の日は予約を取るのが難しかったが、Eさんのお兄さんに頼んでなんとかしてもらっていた。そのお兄さんはどうなったかと心配していた。ある日、新聞でホテル観洋の記事を見つけた。 にほんブログ村

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  • 18 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 2

      子供が小さい頃、夏は志津川に行くものと決まっていた。泊まるのはホテル観洋。  観洋の部屋はすべてオーシャンビュー。波一つない鏡のような志津川湾が眼下に広がった。 部屋のテラスにはかもめがやってきて、餌をねだった。 かっぱえびせんを放ると、手すりにかもめが鈴なりになった。子供たちは大興奮だった。7月最後の土曜日には志津川湾に花火が上がる。それをビール片手にホテルの窓から眺める。「かもめの湯」という、海に面した露天風呂もある。 火照った肌には潮風が心地よかった。 にほんブログ村

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  • 16 Feb
    • 南三陸 ホテル観洋 1

      南三陸町は2005年、志津川町と歌津町の合併によって誕生した。震災報道でその名は全国的に有名になったが、仙台ではその名称はまだ浸透していない。今でも志津川、歌津と呼ばれている。今回の地震による地殻変動で、志津川地区の地盤は、水平方向に442cm、垂直方向にマイナス75.27cm移動した。この地殻変動は貞観地震以来、1141年を経て繰り返された現象と見なされている。貞観地震といったら、西暦869年。平安前期のことだ。 当時この地に住んだ人々は、やはり海の恵みで生きていただろう。そこを巨大津波が襲った。跡には今と同じような風景が広がり、今と同じように人々は絶望したことだろう。 にほんブログ村

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  • 14 Feb
  • 12 Feb
  • 10 Feb
  • 08 Feb
  • 06 Feb
    • 初市と近江商人 9

      昭和30年代、初市の日は必ず大雪になった。小学生は防寒帽でしっかり耳を被い、ランドセルごと雪だるまになってどんどん焼きに並んだ。温暖化のせいか、近年山形も雪が少なくなった。初市に雪が降ったのはここ10年で2度しかない。山形市の中心部には最上家ゆかりの史跡が数多く点在する。桜の美しい山形城址(霞城公園)、三の丸土塁、市内を網の目のように潤す御殿堰、小京都の雰囲気を残す寺町、秀吉に処刑された駒姫を弔う専称寺・・・。三の丸土塁は現在立ち入れないが、かつては子供達の格好の遊び場だった。土塁には鬱蒼と雑木が茂り、東側は深い空堀になっている。堀の底は昼でも陽が当たらず、蔓草が蛇のように足に絡みついた。そこはいつもざわざわと風が巻き、風に混じって人の声が聞こえる気がした。言葉は聞き取れないが、うぉ~ん、うぉ~んと、泣きながら人を呼ぶような声だった。離れて40年以上になるが、生まれた町はいつまでも懐かしいものである。周囲をビルと駐車場に囲まれた三の丸土塁

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  • 04 Feb
    • 初市と近江商人 8

      幼時祖母と十日町を歩くと、祖母は「ここは近江商人の店、ここも・・・」と蔵を指さして言った。その語調には好意的とは言えない響きがあった。山形の庶民は、近江商人を「阿漕(あこぎ)、吝嗇」と反感を持って見ていたようだ。最上川流域の旧家には、紅花商人が京都から持ち帰った江戸時代の雛人形が伝わる。このあたりでは雛祭りが盛んに行われ、「雛のみち」と呼ばれている。近江商人が常食した近江漬は「おみ漬け」として山形名物になっている。寒河江から毎年来ている漬物屋の親子。息子になかなか嫁が来ないようだ。

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  • 02 Feb
    • 初市と近江商人 7

      ところが明治初年、上海経由で安価な洋紅(化学染料=アニリン)が輸入されると、紅花産業は一気に衰退に向かう。明治10年にはほぼ壊滅したとされる。紅花は現在、山形市近郊高瀬地区で細々と栽培されているだけである。それは品種の保存と、宮中の式典用衣装の染色のためだという。紅花を失った商人達は売れる物を求め、古着、布団、油紙、合羽(かっぱ)、鞄、菓子など様々な方向に商売替えをして行ったが、往時の輝きは戻らなかった。近江商人の経済活動は利潤を関西に吸い上げ、関西財閥の基礎を盤石にしたが、東北には資本の蓄積をもたらさなかった。ここはもう売り切れた。「ほれ、最後の1杯だ。残り物さ、福あっぞ」

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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