瞑想による外界遮断の危うさ デフォルトモードネットワークの視点

 時々偶然に視聴することのあるNHKの「こころの時代~宗教・人生~」、年末に「めい想でたどる仏教~心と身体を観察する」の第4回と第6回(最終)を偶然視聴しました。その感想などです。
 私の視聴メモを末尾に載せました。
 なお、番組サイトではひらがなで「めい想」とありましたが、当記事本文では「瞑想」と記述することにします。ひらがなだと文章中で他のひらがなとつながった時に認識しにくくなるためです(「めい想」だと、これが「」で挟まれた場合、やはり読みにくくなる)。


 番組では瞑想の効用が紹介された上で、6回シリーズの最後の回の終盤で、瞑想はマインドフルネスと類似性があり、軍隊でのPTSD予防にマインドフルネスが応用され、冷徹、無慈悲なマシンとしての兵士を養成するのに利用される危険性があるという話が出て、「えっ、じゃあ結局、何なの(何のための番組だったの)??」と、この時はやや過剰に反応してしまいました。そして、一番最後のまとめの話は何も入ってきませんでした。そこで、過剰反応ついでに、ほかの情報を参照しながら、いろいろ考察してみました。

 番組を視聴しての私なりの理解ですが(間違っているかもしれませんが)、

 瞑想の効用とは、自分自身の内面を客観視する仮想的な自我を、外界を遮断し何か一つに意識を集中することで脳内の別領域に生成させて(そんなことできるのかわかりませんが、客観視するとは仮にそういうことだと仮定して)、執着を引き起こしているものから本来の自我を引き剥がし解放するということではないでしょうか。なお、本来の自我とは、脳内では、基本的に外界からの刺激を遮断せず、外界に注意を向けないデフォルトモードネットワークが活性な状態をベースに、外界に目を向ける不活性な状態もあり、普通の社会生活を営む正常な状態の自分の意識だと仮定します。
 なお、デフォルトモードネットワークとは、脳における神経ネットワークの機能的接続のうち、Wikipedia「脳の大規模ネットワーク」(※1)より

「デフォルトモードは人が覚醒し休んでいるときに活発になる。人が空想、未来の想像、記憶の取得、心の理論など、内面的志向のタスクに集中しているときに活発になる。外部の視覚信号に焦点を当てる脳システムとは、相反する関係にある。これは最も広く研究されているネットワークである。」

ただし、英語版(※3)では、

「It is best known for being active when a person is not focused on the outside world and the brain is at wakeful rest, such as during daydreaming and mind-wandering. It can also be active during detailed thoughts related to external task performance. Other times that the DMN is active include when the individual is thinking about others, thinking about themselves, remembering the past, and planning for the future.」

 つまり、「外界に注意を集中せず、脳が覚醒した休息の状態の時に活性化することで知られ」、「例えば、白昼夢やmind-wandering(雑念のことでしょう)のような時の」とあり、さらに日本語版とは少し言い方が違うのは、「外的タスクの出来に関する詳細な思考中」や、「他者について考える、自分自身について考える、過去を思い出す、未来の計画をする」場合でも活性化するとあって、日本語版では「内面的志向のタスク」と言ったり、「他者についての思考」がすっぽり抜けている点です。英語版を見ると、外界へ注意を集中はしないけれども、外界のことに関心は持っていてそれについて思考する状態でも活性化するとなっているわけです(日本語版にはそれがない。しかし、そこは理性やモラルの働きと関わり、非常に重要な違いのように思います。)。
Wikipedia「瞑想」(※2)では、

「脳の内側前頭前野、後帯状皮質、楔前部、下頭頂小葉などからなるデフォルトモードネットワーク」


なお、あるブログの記事資料(※4)では、

「なおサイコパスは、道徳判断中のデフォルトモードネットワーク(DMN)の活動が微弱であることもしられている(Pujol et al., 2012)」
「道徳違反に対する健常者の反応の研究でも、扁桃体とVMPFC(腹内側前頭前野)が重要であることがわかっている。」
「セロトニントランスポーターの遺伝型における差異により義務論的判断(道徳的正しさを行為の結果ではなく動機で判断すること)を予測することができる(Marsh et al., 2011)。」

 とあり、後者2つはこれまでの記事で書いてきた同調圧力と関わっています。

 ここで瞑想の問題の一つは、私なりの理解ですが、仮に瞑想が成功し、外界を遮断しても煩悩に囚われることなく、仮想的な自我に集中し過ぎると、それを本来の自我と錯覚することにより、本来の自我の脳内領域での活動が低下し、脳内のデフォルトモードネットワークは不活性化し、本能的な本来の自我に当たり前に備わっている「憐れみ」などの生得的なモラルや、外界の出来事に関する理性的、常識的な思考が働かず、冷酷無慈悲な行動を躊躇なく実行できる仮想的自我が人格を乗っ取ってしまうことが起こり得るということです(悪いケースを強調しフォーカスし過ぎてはいるかもしれませんが)。
 一方、瞑想が失敗した場合は、外界を遮断した内面観察から煩悩や妄想などを生じ、雑念に支配された状態(デフォルトモードネットワークは活性化)を生む可能性があります。ただし、これには対処法があり、まだましであると言えますが、その中にも瞑想と共通するものがあります。その場合は、また別の客観視の主体を利用するということになり、仮想的自我が多重化し、これもまた本来の自我を見失う危険もあるのではないでしょうか。
 外界に集中しない状態はデフォルトモードネットワークが活性な状態で、日常的には基本にあるわけですが、これを意図的に「外界を遮断」すると、「やり過ぎ」になるのではないでしょうか。つまり、外界を遮断することは基本的に良いこととは言えず、特に仮想的な自我(自意識)そのものに支配されて、それになりきってしまったり、内面観察から発生する煩悩や妄想に支配されてしまうこともあり危険であるということです。そうならない範囲なら瞑想は心身のリフレッシュや集中力の向上など効用があると主張されているわけですが、その境目を知ることはおそらく難しく(まだ科学的に確立されていないのではないでしょうか)、今のところ危うい側面もあるということが言えるかもしれません。


 アメリカでは、あの大統領選から1年が経っても、未だ分断は無くならず、共和党支持者を中心にトランプ氏を今も信じる、言わば「心理的な囚われから解放されない人々」が国民の何割もいる(共和党支持と民主党支持で今なお真っ二つに分断されている)ということです(国際報道2022 アメリカ議会襲撃事件から1年 今も続く余波 [総合] 2022年01月07日 午前3:07 ~ 午前3:47 (40分))。今後トランプ大統領復活の方向に進む可能性はまだ残り、もしそうなると仮に人類がいつか絶滅するとするならその時期は早まることでしょう。「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言う、共通の「ストーリー(フィクション)」を信じる能力を獲得したことにより、知らない人どうしが「協力し合う」、つまり大人数が「協力し合う」社会を築き、人類の地球上の生物界での地位を圧倒的なものに押し上げたという歴史に逆行することになるからです。
 彼ら(トランプ氏支持者)は「瞑想」していたわけではありませんが、以下の番組内容のメモによる「煩悩」のうちの「愚痴(道理を理解できない)」に囚われているように見えます。それは、これまでの記事でずっと説明し続けているように、同調圧力が、恐怖心や不安、不満、畏怖や心酔などにより自己保身のため、生理的反応として心理的な視野を極端に狭くしてしまうことから起こり、そこが外界を遮断する「瞑想」と共通しているからだと思います。脳内では扁桃体と眼窩前頭前野が同時に活性化し混乱を生むのだと思います。
 「瞑想」は、効用が得られる範囲への限定を維持して行える保障は今のところないと思います。薬も毒を制御して用いている場合があるように「瞑想」も制御して行えば効用はあるのかもしれませんが、まだ制御の方法が確立されているとは言えないのではないでしょうか。

 Wikipediaには下に引用したような記述があり(「瞑想時はデフォルトモードネットワークの活動が低下」とあり)、一方、番組(第6回)では「瞑想」中にデフォルトモードネットワークが強まると聞いたような気がしたのですが、全く矛盾することになります。どう考えたらよいでしょうか。
 一般的な説明では、デフォルトモードネットワークは、覚醒した状態で、かつ、安静で、ぼーっとしているか、考えごとや空想をしている時に活発になり、一方、外界の視覚的な刺激などを受けながら、具体的な外界の(内面的でない)活動に集中して取り組むと不活性になるようです。番組(第6回)では、瞑想中に突如として煩悩に取りつかれて制御できなくなること(瞑想の落とし穴)をテーマにしていたので、煩悩のある「失敗した瞑想」では、雑念が湧き、ぼーっとした時と同じでデフォルトモードネットワークが活性化するのだと考えれば聞き間違いではないように思います(そういう理解で合っているかはわかりませんが)。ということは、煩悩が起こらない、つまり集中に「成功した瞑想」では逆となり、外界を遮断しているにも関わらず、外界の刺激を受けながら具体的な行動に集中しているかのような錯覚により、デフォルトモードネットワークは弱まるということではないでしょうか。一方で、Wikipediaの記述にある「デフォルトモードネットワークが活動している状態は、雑念が浮かび疲れやすい」とは、多面的に考えれば、他者に気を遣うなどモラルや常識が働いている、気を働かせている状態という見方もできると思います。
 煩悩を生じる「失敗した瞑想」、本来の自我が働きにくくなる「成功した瞑想」の両者をきちんと区別しないとわかりにくいのですが、番組ではきちんと区別されていませんでした。どちらも害はあり得ます。しかし、この「成功した瞑想」のほうが、より危険なのかもしれません(「集中」し過ぎによる害です)。リラックスした状態ならば本来は自然に働くはずの脳機能を、直接的に止めてしまうということだからです。安静にする(リラックスする)ことと集中すること(平静、冷徹で動じない状態)は、見方次第では一見とても似ていますが、デフォルトモードネットワーク的には逆の状態になります。この似ている部分はおそらく様々な誤解を生む可能性があります。リラックスした状態と集中した状態をプラスのイメージで同一視してしまうことです。適度に切り替えることで効用が生じるのが本来であり、デフォルトモードネットワークが活性の状態が正常な基本の状態です。危ないのは「集中」「動じない意味での平静」に過度に依存してしまうことです。それは「成功した瞑想」に依存するのと同じです。何かに動じて我を失うのもダメでしょうが、動じなさ過ぎるほうがより危険だと言うこと、集中し過ぎ(成功した瞑想)はより危険で、外界遮断により生じた雑念に支配される過度な集中不足(失敗した瞑想)も、まだましですが良くないということです。これも、以前の記事の同調圧力で指摘した「極端」による害と共通しているように思います。どっちだから良いではなく、両極端などちら側も害があるということです。
 危険性との関わりとして気になるWikipediaの記述は、マインドフルネスストレス低減法により「身体部位や内臓で生じた反応への気づきを反映する島が活性化しやすく」なり、「内側前頭前野と機能的結合が薄れ」るとあることです。Wikipediaには書いてありませんが、つまりこれは、自分自身の身体的な痛みや快不快、内面に対しては敏感になる一方、理性やモラルが働きにくくなり、番組で言っていた「人に加害を行っても動じないマシンのような兵士を養成すること」につながり得ると思われます。つまり、同調圧力でのモラルの消失と同じような状態です。
 「マインドフルネス」という言葉は何か素晴らしいもののようなイメージになりますが、集中し「成功した瞑想」と同じで(「成功」もプラスイメージになってしまいますが)、これは危ないものにもつながる可能性があります。
 危険性を指摘する意見は少ないようなので、番組(第6回)は、むしろ、よくぞ紹介し警鐘を鳴らしたものだと、この記事を書いたことで思うに至りました。


Wikipedia「瞑想」(※2) より、

「2000年以降には、脳科学者の瞑想研究も多くみられるようになった。代表的なものとして、fMRI(磁気共鳴機能画像法)を使用し、瞑想時や平静時の脳の内側前頭前野、後帯状皮質、楔前部、下頭頂小葉などからなるデフォルトモードネットワークの活動を調べる研究がある。デフォルトモードネットワークが活動している状態は、雑念が浮かび疲れやすいと考えられ、デフォルトモードネットワークの活動の低下は、より平静であることを表す。瞑想時はデフォルトモードネットワークの活動が低下することが分かっている。ポジティブまたはネガティブな単語を見る時に、マインドフルであるよう教えを示すだけで、デフォルトモードネットワークの一部の活動が減退し、自己関連の情報処理が行われにくくなることが分かっている。また、マインドフルネスストレス低減法を行うと、身体部位や内臓で生じた反応への気づきを反映する島が活性化しやすくなり、内側前頭前野と機能的結合が薄れ、ネガティブな情報を見ても感情に囚われにくく、マインドフルな気づきの状態でいやすくなる。」



※1:「脳の大規模ネットワーク」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/8/15  14:57 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※2:「瞑想」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/9  15:00 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※3:「Default mode network」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)(英語版)』 (2021/12/25  17:36 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※4:「道徳判断の二重過程説の現在 Greene (2015) 2016/07/26」えめばら園/hatenablog   https://emerose.hatenablog.com/entry/20160726/1469535029


◦◦◦以下(番組視聴メモ)◦◦◦◦◦

『こころの時代~宗教・人生~ めい想でたどる仏教~心と身体を観察する4』
[Eテレ] 2021年12月31日 午前1:00 ~ 午前2:00 (60分) 【出演】東京大学大学院教授・僧侶…箕輪顕量,為末大,【司会】中條誠子

(メモ)

 悩みや苦から逃れる道として、初期の仏教で「念処」があり、それは、対象に注意を振り向けしっかり把握すること。例えば、呼吸する時の身体の動きや五感に刺激を受けた時の心の動きを観察すること。
 自らの認識のしくみを把握し、心が勝手に苦しみを生み出したり増幅させたりしないようにするのが仏教のめい想。インドでは一人で静かに、中国では経典を歌うように行われる。

 中国では、過度な享楽は戒めるが、楽しく生きることを旨としている。
 仏教を中国で取り入れる際、安世高(2世紀)による翻訳で「安般守意経(あんぱんしゅいきょう)」があり、「安般」とは入る息と出る息、守意とは心を一つのものにとどめること(ブッダのめい想=念処)。
 「守意」の訳は、老荘思想の「守一(しゅいつ)」を連想させ、中国での受け入れやすさを工夫した。

 『天台小止観』(岩波文庫で坐禅の作法、関口真大訳注として出ています)
 ブッダの観察対象として、四念処(身、受、心、法)がある(法とは心の働き)
 ディアーナ(サンスクリット語の禅)
 老荘思想で世界の根源は「道」
 道が展開して世界ができる。私たちも道という存在であることに気づく。→自分自身を肯定
 見性成仏(曹洞宗 本来持っている仏心に気付き悟る)
 公案(臨済宗の禅問答)

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『こころの時代~宗教・人生~ めい想でたどる仏教~心と身体を観察する6』
[Eテレ] 2021年12月31日 午前1:00 ~ 午前2:00 (60分) 【出演】東京大学大学院教授・僧侶…箕輪顕量,為末大,【司会】中條誠子

(メモ)

 めい想の落とし穴がテーマ
 めい想中に、突如生じる煩悩は制御できなくなる。
 「止」→一つに注意(集中)、「観」→複数のものを観察

 「心の師となるも、心を師とすることなかれ(心を制御し、心が起こした働きに「支配され」てはいけない)」
『摩訶止観』(これも岩波文庫で、禅の思想原理として、関口真大校注として出ています)

戯論(けろん)=外界からの刺激をきっかけに次々と心が働きをおこすこと(これに支配されないこと)

煩悩の分類と対処法

(1)煩悩 
人の気質により4種
①貪欲(むさぼり)(対処法)不浄観(死後に遺体が腐敗していく様子を観察するようなこと。特に情欲など身体への欲求に対して)
②瞋恚(しんに=怒り)(対処法)慈悲観(相手が幸せであるよう念願すること。未来の者達に対しても。慈しみの気持ちを抱くこと。)
③愚痴(おろかさ。道理を理解できない。)(対処法)十二因縁(道理をわきまえる練習。「無名→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」の道理。解説は省略)
④等分(①から③を等しく持つ)(対処法)念仏(万能薬。大乗仏教の理念に基づく。第一義悉檀しったん。一切は空であると了解すること。解説は省略)

(2)思覚(考えが止まらなくなる)
(対処法)入息出息観(空気の流れを意識し続けてあれこれ考える余地を無くす)

(3)業相境(過去の記憶にとらわれる)
(対処法)十乗観法(とらわれる心を受け入れた上で、それに執着しないこと)

(4)魔事境(幻覚的なもの)
少ないが起こるとその人の心を壊す危険がある
(対処法)現れた(幻覚の)相手の素性を知ろうと観察する。
 
 めい想中、脳のデフォルトモードネットワークが強まる。外界を遮断するため妄想、幻覚を起こしやすい。
 マインドフルネスとの類似性
軍隊で、PTSD予防のためマインドフルネスが応用されることがあるが、残虐行為にブレーキが効かないマシンを作ることにならないか。

 

◦◦◦以上(番組視聴メモ) ◦◦◦◦◦