NHKスペシャル「性差の真実」から 日本人は協力し合う社会を捨てる

NHKスペシャル ジェンダーサイエンス(1)「男×女 性差の真実」2021/11/3  7:30~8:17
の後半を視聴しました。

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(概要 メモ)

 人類に、協力して狩をし獲物を分かち合う集団社会を作る進化が起こり、テストステロンが多く攻撃的な男性が淘汰されやすくなり、中性化に向かった(中性化が宿命づけられた)。
 8万年前から5万年前の間に変化(ホモサピエンスの男性の頭蓋骨の額の目の上の出っ張りは無くなっていった)

 女性も中性化(チャレンジ、ストレス耐性)。

(日本では)
 古墳時代までは女性のリーダーがいたり男女の区別がなかった。
 飛鳥・奈良時代、中央集権国家になり、
大宝律令で、戸籍により男女区別が明確に(徴兵、納税)。ジェンダー区分のはじまりと言われる。
 明治時代 参政権は男性だけ、女性は教育から疎外
 昭和 高度経済成長 男性が働き女性が家事育児

 日本はジェンダーギャップ指数がかなり悪い 120位/156か国

 生き方が抑圧される時代は中性化にブレーキがかかった。

 中性化による生殖への心配
番組では、スウェーデン、フランスを例に社会的な取り組みによる少子化の改善について言及

 協力社会を作り、近代医療を作り
生物としての生殖の割合を減らし、
その代わり、個人の幸福を達成する社会になったということ

(以上が視聴内容からのメモです。)
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説明が無かったものは(主題が違うので仕方ありませんが)、
(1)中性化という進化にブレーキがかかる、国家による個人への抑圧はなぜ起こるのか 
(2)日本人は生物的(遺伝的)に中性化の進化が遅れているのか
(3)人類は資本主義(他者を締め出し独占)という協力社会とは逆行するものをなぜ生み出したのか
(4)生殖の減退は大丈夫なのかについて、説得力が今一つ足りない
 

 です。

もう一つ、参考として、Wikipedia「地球史年表」(※1)から
 

「約7万3000年前 - スマトラ島のトバ火山の大噴火。スマトラ島のトバ湖はこの時の噴火によって形成されたカルデラ湖。ここ10万年ほどでは最大級の噴火とされ、地球の気温が数年間3 - 3.5度低下した。ヒトのDNAの解析によれば、7万年ほど前に人類の人口が1万人以下に激減し、遺伝的な多様性の多くが失われ現在の人類につながる種族のみが残った「ボトルネック効果(遺伝子多様性減少)」があったと考えられるが、これがトバ火山の大噴火に関連すると考えられている。」
「7万年前のヒトの出アフリカ説。
7万年前±1万3000年にヨーロッパ人と日本人の共通祖先が分岐。」


 とあります。
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(感想)
 さて、仮に日本人は中性化が進んでいないとすると、日本人女性はより女性的ということで、だから外国人からモテる?、逆に日本人男性は粗野で原始的でモテないということ?

 

 「男性が働き女性が家事育児」が「協力」か否かは議論があるかもしれませんが、片務的であれば「協力」とは言えないのかもしれません。また、第三者が見てわからない場合もあるかもしれません。ただし、今は協力して育児も行うという価値観が推奨されているようです。

 ここから、ちょっと話がずれますが、お許しください。

 極端な例で恐縮ですが、これは、例えば、全体主義のように、国家や権威だけが大事で、国民の命や個人としての国民は一切尊重されない極端な世界において、「お国のため」と言って追い詰められて命を捧げることを「協力」と呼ぶのか、互いに納得し合って助け合うことを「協力」と呼ぶのかという本質とつながっているように思います。保守政治家が言う「公益」と、渋沢栄一が言う「公益」の違いでもあります。また、自民党の2012改憲案にある「公の秩序」と現行憲法の「公共の福祉」の違いでもあります。見分けがつきにくく重要な違いかもしれません。保守政治家が「国のため(全体主義)」と「皆のため(公益)」を巧みに混同させる場合があります。

 左翼批判をされる方々は、「国を守るのは当たり前だ、権利ばかり主張するとはけしからん」と言われるのでしょうが、例えば、零戦は運動性能が絶対条件で、軽量化のために防弾装備を一切なしにして、機体も脆弱にし、人命を一切無視したわけですが、結局、導入初期にしか戦果を上げられず、すぐに弱点が露呈してパイロットを失う戦闘機になったと言います。味方の人命さえ軽視しては負けるのが当然の戦いになることを物語っています。勝ち負けも国民の命も無視して守ろうとしたものとは一体何なのだろうということです。全体主義とはそういうものです。全体主義における権威の主体は、同調圧力という「無責任」の集合体です(同調圧力は、強者優遇=他者依存、気に入らない者を激しく攻撃=責任転嫁、の両極です)。全体主義と新自由主義は全く同質なので(程度や優遇対象が違うだけ)、今私たちは似たような環境にいるということになります。保守政治家の言う「国民の命と生活を守る」と言う言葉は、新自由主義に嘘がつきもの(資本主義、つまり資本家のための政策であることを隠さないと支持されないため)であることを考えると、にわかには信じられません。新自由主義の政権が国防を語りだすと警戒するのはそういうことであり、実際に危うく、民主主義(新自由主義は民主主義とは対極です→前回記事。経済政治は一体ですから新自由主義は経済だけを指しません。)のもとでおこなってもらいたいと思うわけです。ほかにも、「美しい国」とか「一億総活躍」とか、全部、新自由主義を隠すための実態とは真反対のスローガンです。新自由主義に嘘がつきものであることは、同調圧力の無責任さ低モラルと全く同質であることを示しています。

 この新自由主義や全体主義に共通する同調圧力の作用ですが、新型コロナ対策の最初の緊急事態宣言でも見られました。これを国民の自主的な協力のように持ち上げる保守政治家もあるわけですが(2021自民党総裁選の野田聖子氏)、私は「協力」とは呼びたくないです。自粛警察なる同調圧力は、おそらく問答無用で気に入らない者を攻撃しました。この場合、対策を行う国と自粛警察をした人の協力関係でしょう。そして、攻撃対象を仲間から除外していることになります。集団を分断する「攻撃」ですから、この番組で言っていた「集団で協力して狩をし獲物を分かち合う」のような「協力」の中で「攻撃的なテストステロンの多い人」が淘汰された方向性とは違うように思います。むしろ、自粛警察のほうが攻撃的でした。何かが倒錯しています。それから、強制されなくても外出を控え、マスク着用を徹底したことも(野田氏が言われるのはこちらがメインでしょうが)、心理の一面として、「自分だけ違う行動をするのは非難されるだろうから怖い」という強者優遇の同調圧力が働いています。感染が嫌だからというのは同調圧力ではないでしょう。さて、「怖いから従う」を「協力」と言うのかどうかです。分断する攻撃と違い、集団としてメリットがあれば、「協力」と呼べなくもないのでしょうが、釈然としない気持ちになります。「納得して自分の意志で協力し、助け合う」とは違うからです。例えば、誰かが従うのをやめ始めたら、容易に自ら解禁しはしないでしょうか(同調圧力は無責任です。無責任では「協力」は成立しないと思います。)。そして、この同調圧力は、たとえこのような強者優遇の受動型のものであっても同調圧力には違いなく、いじめを「見て見ぬふり」のように時として集団心理による過ち(人を理不尽に集団で傷つけることなど)を媒介するものになるからです。同調圧力とは無責任そのものなためこうなります。「納得」を引き出すのが、私が思う本来の民主主義で、北欧などの社会民主主義を指します(前回記事 「自分たちの社会を自分たちで運営」→「自分たちの」=非独占=共有的=社会主義的。民主主義とは自分たちで共有するルールを作って自分たちで「自由を抑制する」ことです。新自由主義という投資家の自由尊重による独占、政治の独占、無責任などとは対極的です。)。後述のように日本人の国民性は民主主義とは遠いと思うわけです。日本で民主主義を求めると、新自由主義という民主主義でないものに民主主義を求め、民主主義とは遠い国民に民主主義を求めることになり、埒があかず地獄のようになります。「モンスター〇〇」のようなクレーマー、ハラスメントは、同調圧力の「気に入らない者を激しく攻撃」なので、新自由主義と同質です。新自由主義は無責任ゆえに人々の低モラル、同調圧力を引き出します。誹謗中傷、ネガティブキャンペーンを積極的に行うのが新自由主義推進政党(日本維新の会や自民党)であることからも明らかです(相手を貶める誹謗中傷と「批判」は別と考えるべきでしょう)。

 

 ずいぶん長くなり失礼しました。
 やっと話を戻します。

 この番組はテストステロンを切り口にした性差が主題(テストステロン=闘争性→協力し合う社会では邪魔になり淘汰される→中性化が進む。8万年前から5万年前の間に顕著に起こったことが男性の頭蓋骨の変化からわかった・・目の上の出っ張り「眼窩上隆起」の消失。)でした。

 当ブログでは、セロトニントランスポーターに着目した話に繰り返し言及してきました。
 セロトニントランスポーターが少ない=恐怖を感じやすい→強者に靡くか、気に入らない者を激しく攻撃するかの両極(同調圧力)

 同調圧力は新自由主義(資本主義強支配型政治)、強権政治、中央集権的なものを促進してきた=争い、戦争、競争の強い社会、強い者が支配する社会=協力し合わない社会を志向

 「協力しないと生きられないことが淘汰圧となり、中性化した」ということは、
 セロトニントランスポーターが少ないことで、そもそも「協力し合わない社会」が先にあれば、中性化は進まないし、「協力し合わない社会」もそのまま変わらないということにならないか。

 古墳時代まではジェンダーギャップが小さかったというのはどう理解したらいいのか。中央集権による締め付けが少ない時代には、同調圧力がそれほど強く働かなかったのか。ならば、現在でも、状況が変われば同調圧力は抑制されるだろうか。


 現在の日本は、貧困や雇用不安により、社会の支援がないと子孫を残せない人がたくさん出る新自由主義(資本主義強支配型政治)による格差社会ですが、逆に資本主義で勝ち組になった人は子孫を残すため、トータルでは「協力しないと生きられない」という淘汰圧は作用せず、むしろ資本主義の競争で上手く生きる(おそらく闘争心が強めな)勝ち組が生き残ります。つまり、今後も「協力」が嫌いな国民性はますます強まっていくということになります。日本人は変わらないどころか、もっと「協力嫌い」な国民になるでしょう。「協力」的性質を「我慢強さ」と捉えるとよりわかります。同調圧力の攻撃性、すぐキレるような面が今の日本には多い感じがします。
 番組では、生き方が抑圧された社会では中性化にブレーキがかかると言っていましたが、ブレーキどころか、より攻撃性が強まるほうに濃縮されるのではないかと思います。
 そこで、極寒の環境のような人間の勝ち負け以上に助け合いが必須な環境でないと「攻撃性」の淘汰圧にはならないのかもしれないと思ったのですが...。
 世界中でおそらく最も民主主義が進んだのがヨーロッパ北部であることがそれを物語っていないかとも思いましたが、しかし、ロシアの人たちを考えると矛盾しそう
です(失礼ながら民主的なイメージがない)。それに、中性化の証拠として、テストステロンの減少を示す男性の頭蓋骨の目の上の出っ張り(眼窩上隆起)の消失において、現在の人類で差はあるようには思えません。

 8万年前から5万年前の気候変化がどうだったか検索したところ、上に参考として引用したWikipedia「地球史年表」によれば、7万3000年前の火山噴火による気候変化で人類の人口が激減し遺伝的多様性が大きく失われたとされ、これはテストステロンの顕著な減少を示す男性の頭蓋骨の変化の時期(8万年前から5万年前の間)と重なります。そして、ヨーロッパの人と日本人の共通祖先が分岐したのもこの時期とされます。

 いろんなことを裏付ける内容です。民主主義を発達させた北ヨーロッパの人たちの祖先と日本人の祖先は「協力社会への進化による中性化」の起こった時期に分岐したので、テストステロン減少以外の遺伝的な違いも何かあって違いをもたらしている可能性があるということです。どおりで日本人は民主主義が成り立たないのかもしれません。そして、ロシア地域は、コーカソイドでもモンゴロイドがより多く混じり、北ヨーロッパとは状況が違うと考えれば、環境よりも何らかの遺伝的な変化による違いが「協力社会への進化」の違いを生んでいるのかもしれません。

 もし、環境の作用もあると考え、極寒の北ヨーロッパが「協力社会への進化」をより強める環境だったとすれば、温暖で緑豊かな恵まれた環境は、実は「協力し合う社会」への進化を妨げるということになりますが。
 温暖で恵まれた土地も多いであろう米国も新自由主義(資本主義強支配型政治)の傾向が強いです。バイデン政権も既に支持率を落としはじめています。

 先日の衆院選の結果は多くを物語っています。「助け合い」を訴えた立憲民主党は議席を減らし、嘘か本当か新自由主義を脱すると口走った自民党のおかげで新自由主義を先鋭化させた日本維新の会が躍進しました。そして、結局は新自由主義を脱さないだろうと見做された自民党は過半数を制しました。新自由主義(資本主義強支配型政治)は「独占」を良しとし「協力し合う社会、助け合いの社会」を拒絶します。
 つまり、日本人のマジョリティは「協力し合う社会、助け合いの社会」を拒絶する
 それが明確に示された選挙
でした。

 新自由主義は資本主義支配の政治であり、資本家の利益のためのものなので、労働者が豊かになることはありません。「生かさず殺さず」で搾取され続けるだけです。そのため新自由主義を推進する政党は巧みにそれがばれないよう、良い政策に紛れ込ませたり、よく見せたり、誰かを攻撃して自分たちが正しいと信じ込ませます。嘘が伴うのは宿命です。それでも支持をなさるというのは殊勝なことですが、そういう「充実した全体主義(totalitarianism on satisfaction)」でどうなったかは日本人は経験済みなはずです。歴史や経験から学ばないのも新自由主義の特徴でした。ちなみに、新自由主義と全体主義は全く同質です(前回記事)。
 没落への階段を一歩一歩登る?(いや下る?)な選挙でした。
 米国のバイデン政権も危ういです。状況は日本と似ています。再び「助け合いの社会」への拒絶(トランプ政権の返り咲き)が起こるかもしれません。

 日本では民主主義は実現しないでしょう。

 それでもなんとか目指すなら、日本で、歴史上、同調圧力が緩和された時代があれば参考にするべきかもしれません。全体主義の明治時代はありえません。



 今の日本で協力し合うとすれば、負け組同士となるのでしょう。もしかすると、日本には負け組(下層)社会という別社会ができる(既にできている)のかもしれません。分断というより分離してしまうということです。同じ国土に住んでいても。
 もう何年も前に関係を断ちましたが、学生時代の合唱団の同期で友人と思っていた人ですが、彼は財閥系大手企業の社員で、何かのきっかけで一時電話やメールのやりとりをするようになりましたが、「住んでいる世界が違う」とはこういうことかという感覚になりました。


(日本の選挙制度の再考察)

 選挙制度について度々考えを書いてきましたが(揺れてもきました)。今回の話でも揺れました。

(1)単独過半数を作らず、話し合いと合意による民主主義を期待する「比例代表制(政党名簿式)」(日本の「並立制」のように部分的にやっても意味がありません。また、阻止条項で乱立も防ぐ必要があります)
(2)一発(即決)で明瞭な勝ち負けを決めて敗者を排除し、あとは独裁(即決)で思うがままにどうぞという効率最優先で無責任な「小選挙区制」

 社会を発展に導くのはもちろん前者で、後者は独裁と荒廃した社会を導きます。
 しかし、(1)を行うには、闘争心旺盛では、拮抗した政党による争いと混乱を招く可能性があり、理性的で「協力し合う社会」への適応力が前提として必須です。
 つまり、日本人には(1)は高嶺の花であろうと思われます。そして、(2)で生じる独裁は好きかと問われて「嫌だ」という人はもはや少数派ということです。
 新自由主義のような、「協力社会」を拒否する体制や政策の環境は、「協力社会」を拒否する性質がより強まっていくような淘汰圧となり、国民性として濃縮されていくのですから、もう民主主義など到底不可能でしょう。

 私には、これまで書いてきたように、民主主義とはこんなもので、この「協力社会」を拒否する政策とはどんなもので、ということを整理して書き残しておくくらいしかできません。

  
もう一つ、ETV特集 選「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業~」2021/10/30 23:00~0:00 再放送2021/11/4  0:00~1:00(初回2020/11/14)
でも、人類の最強の力は「協力する能力」だと言っていました。共通のストーリーを信じることで、多くの人間が協力し合うことができるということは他の動物にはできないだろうと。貨幣もストーリーであり、今や物質としての貨幣がなくても取引ができる。 
(私の感想・・ハイエナなど、集団で狩りをしたり、社会を作る動物はあっても、さすがに貨幣経済をやっている動物は今のところないだろうと)

 日本人の多数派は(衰退への道かもしれないのに)それを捨てたがっているのは、もったいないことです。

 

(参考)

 

※1:「地球史年表」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/4  04:16 UTC 版)https://ja.wikipedia.org